「やりたい仕事」だけに集中

腰を痛め、雑用すらうまくこなせませんでした。
お風呂に浸かると、痛めた筋肉が温まって弛(ゆる)むのか、多少マシになる気がします。
妻は「ギックリ腰」状態の私を、今までからよく見ているのですが「今回はちょっと深刻そう」とのコメント。
が、予定通りにコインパーキングの集金に向かいました。

不思議なことに、いくつか回っていくうちに段々と調子がよくなってきたのです。
朝は腰が痛くてズボンを穿(は)くことすら、普段の5倍ぐらいの時間がかかっていました。 
それなのに集金中は腰をかがめても、ほとんど不具合を感じないところまで回復していました。

恵まれた生活を与えられているのに、普段はそれを意識することがありません。
が、それを失った時に初めて有難さがよく分かるのです。
とにかく常日頃(つねひごろ)の感謝が足らないのです。

体が不自由になると、夢だとか目標だとかは、もうどちらでもいいような気がしてきます。
夢を追うよりも、普通に体を動かしていけるようにする方が余程大事だと感じました。

そういう意味では「夢を持つ」こと自体は、とても贅沢なことなのですね。
体の具合が悪い間の方が、かえって感謝の気持ちが湧いて謙虚なのに、体調が良くなるにつれ、まわりや自分自身に不満が出てくることにも気がつきました。

常に神々に感謝し、その力をお借りしながら「やるべきこと」を淡々とやり続けていこうと思っています。
私の場合は幸いに「やるべきこと」と「やりたいこと」はイコールなので、喜々として100%のパワーをそれらに集中していくことができます。

今の私にとって「やりたくない」のに「やらなければいけない」仕事は皆無です。
若い頃は気持ちにそぐわなくても「仕事だから仕方がない」と結構ムリして頑張ってきました。
そういった仕事をずっとやっていると、下手するとウツになるのかもしれません。

仕事ではないのですが、Rクラブに入っていた頃は、週に1度の例会に行くのが苦しくて、その時間になると体調が悪くなり、出席することができなくなっていました。
行くのが嫌で嫌で仕方がなかったのです。
登校拒否の生徒の気持ちが実によく分かりました。