書けば実現する

「夢は書けば実現する」という法則があります。

 

私も昔からそういった法則には気がついていたのですが、イマイチ実現する確率が低かったように思います。

 

書いただけで実現するなんて、ちょっとスピリチュアルな力や念力が必要なのではないかと思っていました。

 

むろん難易度の高い夢には、潜在意識の助けが必要だと思います。

 

が、おどろおどろしい力が要るのではなく、むしろ書けば「自動的に」実現してしまうといった方が正しいようなのです。

 

昔、軽自動車が欲しいと思い、そのことを紙に書いたことがあります。

 

で、しばらくして実現しました。

 

またベンツに乗りたいと思い、そう書いたところ、それもまた何年かして実現しました。

 

ならばフェラーリが欲しいと書けば、手に入るに違いないのですが、私は書きませんでした。

 

なぜならスポーツカーやスーパーカーには興味がないからです。

 

同じように「アメリカの大統領になる」とか「大相撲の横綱になる」なんてことも最初から書きません。

 

ということは「実現することしか書かない」ということであり、逆に言えば「書くことはすべて実現する」と言えるのではないでしょうか。

 

「書けば実現する」という方法も一種の技術であり、長いあいだ取り組んでいると、そのレベルが上がって当然だと思うのです。

 

最近、実現力が増してきたのは、そのせいかもしれません。

 

 

行きたい所へ行く準備

人生の成功者は、かなりの確率で手帳やノートをうまく活用しているようです。

 

自分の目標や夢を書くというのは”ものすごく”大事なことで、その効果に驚かされることも少なくありません。

 

私は「5年手帳」と「経営・人生統合計画書」との両方を使って、目標や夢の実現を図っています。

 

たとえば「行きたい所」の場合だと、まずは「経営・人生統合計画書」にリストアップし、実際に行く日を「5年手帳」に落とし込んでいきます。

 

水曜日が比較的自由になるので、日帰りクルマ旅の予定をほぼ週1回のペースで入れ、今年の9月ぐらいまでは既に予定で埋まりました。

 

史跡などでも、実際に現地に行くと随分と気づきや学びがあるのです。

 

「現地に行ったからこそ分かった!」という体験は幾度もしています。

 

また手帳に予定を先に入れてしまうと、その日までにできるだけ勉強しておこうという意識が高まります。

 

私の場合は本がメインの勉強手段ですが、訪問するまでに大量の本を読んで知識を頭にインプットしておきます。

 

海外旅行のときでもそうですが、シッカリと勉強していくと、現地での感動の度合いが違ってきます。

 

感動すると、その後もまたそのことについて勉強するという善循環になるわけです。

 

体重コントロール

体重はしょっちゅう測れても、身長を測る機会はそんなに多くありません。

 

したがって普通は、自分の若い頃の身長をずっと記憶しているわけです。

 

年を取ってから何かの拍子に身長を測ると、背が低くなっていることに衝撃を受けます。

 

そういったことを何人かの人に実際に聞いたことがあるし、本でもよく書かれています。

 

若い頃には考えもしなかった「想定外」の出来事の一つです。

 

私は身長170センチで、自分が背が低いと思ったことは一度もないし、コンプレックスもありません。

 

が、最近、170センチの人といっしょにいると、どう見ても自分の方が低いのです。

 

つまり自分がそれだけ縮んでいるということであります。

 

もうモテなければいけない年齢でもないので、別にガックリはきていません。

 

一方、身長はコントロール不能でも、体重はコントロール可能です。

 

体重過多を長く続けていると、内臓やヒザに負担をかけます。

 

10年20年と肥満体を続けていると、ある日突然、体が悲鳴を上げ、重篤な状態に陥ることが少なくないようです。

 

私は長いあいだ、自分の理想体重が何キロかよく分からなかったのですが、どうやら63キロあたりのようです。

 

これをキープしていくなら、たぶん自信を持って健康を維持できるのではないかと考えています。

 

 

 

肥満

脳梗塞心筋梗塞で倒れる人の共通項に「肥満」というのがありました。

 

健康診断の数値は正常値を少し上回る程度で、病気と見なされる状態ではないものの、10年以上同じような状態でいると、過労や深酒のような要因が加わったとき、ある日突然、倒れることが少なくないようです。

 

カゼは万病のもとと言いますが、肥満も同じようなものかもしれません。

 

カゼも肥満も、自分が注意すればかなりの確率で防げるはずです。

 

私は身長170センチだったのですが、最高体重は74キロでした。

 

このときはお腹がシッカリ出ていました。

 

関節にも負担をかけていたに違いなく、ヒザや腰に時たま支障をきたしていました。

 

74キロからいったん12キロ落とし、今はそこから2キロほど戻った状態です。

 

私の経験から言えることは、体重を落とすのは運動ではムリだということです。

 

ほぼ100%食事だと言えるのではないでしょうか。

 

10数年前に、お昼を抜き、1日2食にしたあと、体調が劇的に良くなった経験があります。

 

クルマで遠出の旅をしたときなど、昼過ぎに「1日1食」となることが多く、そうすると非常に調子がいいことにも気づいています。

 

ふだんの日常生活でもそうすればいいのかもしれませんが、家庭の習慣といったこともあり、なかなか難しいのです。

 

ちなみにお酒はいつの間にかやめております(すぐ復活するかもしれず、大きな声では言いません)。

 

倒れる兆候

兵庫県尼崎市で職員の健康管理の仕事をしていた人の本を読みました。

 

当時、市の職員数は4,500名ぐらいだったのですが、驚くことに毎年20人近い人たちが亡くなっていたとのこと。

 

すべて60歳以下の現役職員です。

 

心筋梗塞脳卒中が多かったのですが、診断データを調べてみたところ、血圧や血糖値はやや高めだけれど、高血圧や糖尿病と診断できるレベルまではいってなかったそうです。

 

しかし、どこかに兆候があったに違いないと調べたところ、倒れた人たちに共通項目が見つかりました。

 

まず、30~40代の頃から肥満が続き、正常範囲の基準値を少し超えるぐらいの状態が10年以上続いていて、血管へのダメージが蓄積されていたのです。

 

そして、ある日「過労」や「ストレス」や「睡眠不足」や「飲み過ぎ」や「急激な体重増加」などが引き金となって、心臓や脳の血管が破綻してしまうのです。

 

そこで全職員の数値データを悪い順にリスト化しました。

 

するとなんと上から3番目までの人は既に倒れていたのだそうです。

 

具体的に言うと、1番目の人は脳梗塞で入院中、2番目の人は心筋梗塞で休職中。

 

そして3番目の人は、つい最近亡くなっていました。

 

あわてて4番目以降の人から順に健康指導していったとのことです。

読書タイム

ネット新聞を読むことと、ブログを書くことを午前中にやってしまわないと、1日のリズムが狂います。

 

夜の時間は読書に特化したいという気持ちが強くあるからです。

 

魂の成長のさせ方には色んな方法がありますが、私の場合は読書。

 

人生で大切なことのほとんどすべてを本から学んできました。

 

こう言っちゃなんですが、親から教えてもらったことよりも、本から学んだことのほうが数十倍多いように思います。

 

本を読むには、ある程度の余裕が必要です。

 

受験勉強などしていたら本は読めないし、あまりに仕事が忙しいと、これまた本が読めません。

 

「この本を読んだからこそ、今の自分がある」といった本を、私は恩人ならぬ「恩書」と呼んでいます。

 

今まで数冊のそういった恩書があり、それらの本は書斎の一番いい場所に並べています。

 

置いているだけでも本たちからはオーラが出ており、場の波動がよくなっています。

 

座禅や瞑想の効用が見直されていますが、読書の場合、本を読もうという時点で既に心が落ち着き、静かな集中力で頭が統一されます(そうでないと本は読めません)。

 

私の場合、夜に3時間の読書タイムを設けています。

 

読書タイムを早朝に持っていった方がいいのではないかとも思うのですが、本を読んで眠くなった時点で仕事に出なけれなならない場合もありそうで、もう少し試行錯誤が必要なようです。

見栄と承認欲求

見栄を張るとロクなことがなかったというのが、私の経験則でもあります。

 

いろんなケースで見栄を張って失敗してきたのですが、金額に換算すれば数千万の損失になるのではないかと思います。

 

身の丈に合った生き方をすれば、勝手に幸せになるようにできているのに、少しでも自分を大きく見せようとしてズッコケることが多いのです。

 

見栄とは少し違うのですが「承認欲求」というのもあります。

 

「自分はこんなに頑張ってきた」とか「自分はこんなにスゴイのだ」といったことをまわりにも認めてほしいわけです。

 

会社の社長などをやっていると、褒められることがあまりないものだから、誰かに褒められたくて仕方がないのです。

 

どう考えても経済的合理性のない「突拍子もない」ことを社長がやり始めたら、それはいびつな承認欲求かもしれないと疑ってかかる必要があります。

 

経営者が選挙に出るなどと言うのは、その典型的な一例に違いありません。

 

私の場合は、ブログを書くことによって承認欲求が満たされているようで、これはブログの予期せぬ効用でした。

 

見栄を張るなんてことも、年齢を重ねるごとに薄れていきます。

 

好きなものに囲まれ、好きなことをしていく人生はまさに理想で、70代にして、その理想に到達した感があります。