戸隠神社へのクルマ旅 その4(写真特集)

奥社に向かう最初の鳥居。

鳥居を一歩入ると空気感が明らかに違ってきます。

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奥社の参道(山道)。

森林浴ならぬ神林浴です。

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「あめのタヂカラオのみこと」が祭られています。

天の岩戸を押し開いた怪力の神様です。

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中社の鳥居。

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この階段を登りきると…。 

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「あめのやごころオモイノカネのみこと」が祭られたお社があります。

この神様は知恵の神様です。

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参拝のあと、長野駅周辺に戻り「天ざる大盛り」を注文。

普段は昼食は食べないのですが、朝ごはん抜きでいっぱい歩いたためお腹ペコペコ。

で、天ざる大盛り。

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念のため(意味不明)、夜は別のお店で同じ「天ざる大盛り」を注文。

駅ビルに入っているお店ですが、こちらのほうが美味しかったです。 

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*JR長野駅前のホテル「メトロポリタン長野」からのワンショット。

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戸隠神社へのクルマ旅 その3

奥社への山道を歩いていると「クマ出没注意」の看板を目にしました。

クマが出るのは分かったけれど、どう注意したらいいのかがサッパリ分かりません。

クマには出会わなかったのですが、サルを見かけました。

もう少し歩くと「スズメバチに注意」のプレートも掲げられていました。

「どれだけ危険やねん!」と思わずツッコミを入れたくなりました。

伊勢神宮も広いので結構歩くのですが、基本的には参道はフラットです。

その点、戸隠神社の奥社へはずっと山道なので、気力・体力がないと参拝できません。

神社の中には、そこの神様に呼んでもらわないと行けないという所があるようです(例えば、奈良県吉野郡の天河弁財天など)。

呼んでももらっていないのに行こうとしても、途中でナビが壊れたり、天候が急変したりして行けないらしいのです。

そういった意味では戸隠神社も、体力・気力が充実し、神さまと息が合わないと行けないところなのかもしれません。

早朝に来たので、行きは誰とも会わなかったのですが(サルとは会いました)、帰りはたくさんの参拝客や登山者と出会いました。

やはり人が多くなると、精妙な波長の空気感がちょっと崩れてくるのです。

参拝は早朝に限ります(「早起きは『3億』の得」なのです)。

先生に引率された中学生の団体にも出会いました。

こういう所に一度来ると、あとグレようがないのであります。

ご祈祷は中社で行われています。

奥社に参拝のあと、中社の社務所で祈祷をお願いしたところ「ご予約はされていますか?」との意表を突く質問。

「いえ」と答えると、「予約が混んでいて、今からだと昼からになります」との答え。

まさか祈祷に予約がいるとは思わず、また予約でいっぱいだとも思わず、正直びっくりしたのであります。

 

戸隠神社へのクルマ旅 その2

今回の旅のメインイベントである戸隠神社参拝に向け、朝7時にホテルをスタート。

JR長野駅前のホテルから45分ほどで戸隠神社に到着しました。

外の温度は12度。

クルマにハーフコートを積んでおいて本当によかったのであります。

昨日、休憩したパーキングエリアの外気温が30度近かったので、すごい温度差です。

戸隠神社は奥社・中社・宝光社の3つから成り立っていて、それぞれご祭神も違い、場所も離れています。

その辺の事情は、実際に足を運ばなければよく分からないのです。

また元々「修験道」が盛んなところで、そのための宿泊施設である宿坊があちこちにありました。

この地で天台宗真言宗の法戦も激しかったようで、修験道や仏教や神道が入り混じり、そのすべての聖地であったようです。

(まるで、ユダヤ教イスラム教、キリスト教すべての聖地のエルサレムのようです)。

おまけに上杉軍と武田軍とが常に覇権を争っていた場所でもあり、軍事的にも“ややこしい”ところだったようです。

ただ、スピリチュアル的には「深く」、「濃い」場所であることは間違いがありません(行けば分かります)。

戸隠神社の中社にはオモイノカネの命(みこと)が、また奥社にはタヂカラオの命が祭られており、それぞれの神様がご祭神の神社を(私は)ほかには知らず、そういった意味でも、ぜひ一度参拝したかったのです。

特に奥社は「パワースポット感」抜群でした。

長い長い参道(と言うか、ほとんど山道)を歩いて”なかなか”キツかったのですが、参拝してヘトヘトになったのは、山自体がご神体の大神神社に登って以来のことです。

 

戸隠神社へのクルマ旅 その1

長野県の戸隠神社3日間のクルマ旅です。

行きと帰りでそれぞれ丸1日使うので、戸隠神社参拝は真ん中の1日だけ。

いつも東京へは新名神を使うのですが、今回は名神で行き、途中から中央道へと向かいました(ナビの指示通り)。

中央道は標高が高い所を走っており、自然が多く気持ちがいいのです。

今回もまたCDをたくさん聴いたのですが、毛色の変わったところでは「万葉集」を解説したものもありました。

「令和」の出典先が万葉集と聞き、一度勉強してみたかったのです。

が、本を読むのはちょっと億劫(おっくう)なので、万葉集解説の5巻セットのCDを予(あらかじ)め買っておいたというわけです。

万葉集CDを聴いていると、知らないことばかりで結構面白かったのであります。

戸隠神社のまわりにも宿坊のような宿泊所がいっぱいあるのですが、JR長野駅近くのホテルに2泊することにしました。

宝塚の自宅からそのホテルまで、ナビでは5時間20分で着くことになっているのですが、私の場合は多分8時間と予想しておりました。

で、まさにピッタリ8時間。

「熟睡」休憩が3回、給油が2回です。

先日、軽井沢に行った折、戸隠神社にも寄ろうとしたのですが、さすがに時間がなくなり、今回そのリベンジというわけです。

それにしても1つの神社を訪問するためだけに3日間も使うなんて、まことにぜいたくな旅であります。

スサノオの酷(ひど)いイタズラに、天照大神(アマテラスおおみかみ)がついに怒り、天の岩戸に隠れてしまわれました。

世の中が真っ暗になり、困った神々が、天照大神を天の岩戸から出すために知恵を絞りました。

タヂカラオという怪力の神様が天の岩戸(引き戸)を押し開けたのですが、そのとき勢い余って、戸が下界に落ちてしまいました。

その落ちたところが戸隠神社というわけです。

 

 

人生の基本方針

ポジティブで性格がよく、基本的に勤勉な人たちとお付き合いするようにすると、自然に運気も向上していきます。

逆に運の悪い人や、性根の悪い人たちからは一目散で逃げるのが一番です。

運の悪い人を助けられるほど、強い運を自分自身が持っているなどと思うのは一種の傲慢さだという気がします。

あの松下幸之助でも竹村健一でも「運の悪い人とは付き合わない」を信条としていました。

HIS創業者の澤田秀雄さんが、ある時、運の悪い経営者たちを助けようと積極的に接していったところ、一挙に自分の運気も悪くなってしまったそうです。

これだけ仕事がデキる人たちがそうなのだから、私など「自分のことで精いっぱい」くらいでちょうどいいのではないかと思います。

「運がいい」というのは、自分の努力や才能以外の要素で、「宇宙の波長に合っている」とも「神さまに愛されている」とも言えそうです。

「一切合切神さまにお任せして、やるべきことを淡々とやっていく」というのが私の理想の生き方で、段々とそうなっていっているのを喜んでいます。

伊勢神宮に丸2日かけて毎月参拝しているのですが、6年間、1ヵ月も欠かさず行き続けていると、周期的にやってくるはずの災難がブロックされているのを感じます。

天照大神(アマテラスおおみかみ)の圧倒的パワーで災難たちが吹っ飛んでいくといった感じなのです。

仕事や掃除はともかくとして、毎日「やるべきこと」が3つあります。

階段トレーニング(1時間)と語学学習(1時間)と読書(3時間)です。

夕方から、おおよそ計5時間を費やしています。

あるアメリカ人が書いた本を読んでいたら「普通の人は毎日テレビに4時間、スマホに4時間使っている」と書いてありました。

「本当かなあ?」と思うのですが、もしそうなら私はそれらの時間がゼロなので、自己啓発に5時間程度使うのは全然問題ないと納得した次第です。

ある日、突如として成果が出る

虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)という「天才になる修法」が真言密教にはあるようで、もともと頭のよかった空海が、それにより一挙に超天才になった感があります。

私自身の乏しい経験でも、勉強やスポーツにおいて、明らかにステージが上がった瞬間がありました。

突き詰めて努力していると、徐々に(正比例的に)成果が上がっていくのではなく、ある日を境に一気に蓄積された実力が姿を現すのです。

野球の野村克也・元監督は現役時代、肩が弱いのを克服するため、毎日遠投を繰り返しました。

すると4か月目にハッキリとした成果が見え出したとのこと。

もし仮に3ヶ月で止めていたら、のちの三冠王やリーグ優勝監督というのもなかったはずです。

海外へ留学に行った人たちの話を聞くと、ある日、突如として周囲の人たちが喋っている内容が分かるようになるそうです。

3ヶ月でそうなる人もいれば、半年や1年の人もいて、それはその人の日本にいる間の勉強量によって違うということも分かってきました。

好きなことや得意なことでないと、そもそも努力自体ができないということも、最近特に感じることです。

相性の合わないことや苦手なことで努力するのは、時間のムダなような気さえしてきました。

学生時代は自分が何に向いているのかサッパリ分からず、また将来のハッキリした目標も見つけられないことが多いのです。

従って単に点数を取るだけの勉強をとりがちで、そこが社会人の勉強との大きな違いです。

逆に社会人になっても勉強しない人がいるとしたら、あまりいい人生にならないという気がするのです。

 

 

歩く禅

「階段トレーニング」を初めて半月経ちました。

三日坊主にならずに、これであと30年続ける自信が出てきました。

全部で97段ある階段を10往復昇り降りするだけの運動ですが、汗ビッショリになり、下半身の劣化を防ぐ運動としては最適だと思っています。

今までの私だと、ちょっとうまく行きだしたなら、すぐに回数を増やそうとしていました。

少しぐらいならいいのですが、段々と負荷が増えていき、続けるのが鬱陶(うっとう)しくなってくるというパターンです。

「今後も一切、回数を増やさない」と決めるとホッとして、実際に歩いているときも(余計な気持ちの負担がかからず)とても楽しいのです。

今は夏ということもあり裸足で歩いているのですが、石のタイルが足裏に心地よく、足裏のツボに刺激が伝わるのが分かります。

「回数を増やそうとしない」というのは、大袈裟でなく、私にとっては一種の「悟り」で、「もっと、もっと病」から解放された瞬間でもありました。

「早く動こうとしない」も決めたことの一つです。

ゆっくりと味わいながら歩いていくと、ちょっとした瞑想状態となり、私はこれを「歩く禅」と呼んでいます。

これも以前の私なら「少しでも早く!」と気持ちを急(せ)かしていたことと思います。

屋内での運動なので、いつでもでき、しかも安全で、料金もゼロです。

「こんなにいいことを、どうしてもっと前からやらなかったのか?」という疑問はモットモですが、物事を始めるにはそれに相応(ふさわ)しい時期が自ずとあるということなのでしょう。

いろんな条件が満たされ熟成したところで、ずっと以前から願っていたことが実現していくという経験を何度もしています。

今回もその一つに違いありません。