日常の幸せ

朝、いつものように目が覚め、当たり前のようにビート(我が家のラブラドールレトリバー)が近くで寝ているのが、途轍(とてつ)もなく幸せに感じることがあります。

 

幸せは平凡の中にあるのですね。

 

これだけ神さまから与えられっぱなしになっていることに対し、何をもってお返しすればいいのかが分からないぐらい有難いことでもあります。

 

そのお返しは「自分が上機嫌でいる」ことしかないと、最近気づくようになりました。

 

自分が上機嫌であれば、自分のまわりの人たちも機嫌よくなり、快適です。

 

そうやって日本中に機嫌よさが広がっていけばうれしいですね。

自宅で倉庫のように使っている部屋があり、機が熟し、その整理をできることになりました。

 

家族たちのモノも置かれており、もう何年も手を触れたことすらないような状態のものもありました。

 

私自身のモノだけなら、とっくの昔にガサッと捨て去っていたに違いないのですが、家族のモノを無断で捨てるわけにはいきません。

 

が、時間とともに事情が変化していき、今回晴れてモノの処分ができることとなりました。

 

地下図書館の(まだ使っていない)木製の大型書棚をその部屋に移動させ、積んだままになっていたアルバム類をキレイに並べ直しました。

 

ちょくちょくアルバムを捲(めく)りながら作業したのですが、もう忘れていたような古い写真もたくさんありました。

 

家族のことなど「ほったらかし」で仕事(それも下手な商売)ばかりしていたという負い目と後悔が私にはあるのですが、子供が小さい頃は結構一緒に遊びに行っていたことが、それらのアルバムを見て分かったのは多少の救いでもありました。

 

「愛妻家」や「子煩悩」というのは大きな「徳」の一種であることも、それらの写真を見ていて気がつきました。

地下から持ってきた書棚にアルバム類を整理しました。 

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今回出た粗大ゴミです。

処分してスカッとしました。

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コツコツ努力

自分の性格に一番合った言葉は「コツコツ」ではないかと最近思うようになりました。

 

コツコツ努力を積み重ねていくわけです。

 

「モノづくり」や「画期的な発明」などの才は元よりないことは分かっていたのですが、「経営の才能」も「人使いのうまさ」もないことが分かると、一体どうやっていけばいいのかがよく分かりません。

 

かくなるうえはコツコツと収益物件を増やしていくしか道が残されていないようにも感じます。

 

素人に毛が生えた投資家が書いた不動産投資の本がたくさん出されているのですが、レベルが低いし、明らかに間違った考え方が書かれていたりします。

 

しかしながらコツコツと投資物件を増やしたり、身の丈に合った投資を勧めたりする本には共感します。

 

「コツコツお金を貯めて、一つ一つ収益物件を増やしていく」方法は私にとってはピッタリで、方向性も間違っていないはずです。

 

唯一の欠点は、次の物件取得までの間「手持ぶさた」であることです。

 

でも逆に言えば、その間、存分に勉強できるということでもあります。

 

神さまから与えられた時間をムダにせず、寸暇を惜しんで学んでいこうと思います。

 

「学ぶ」の内容は、本を読んだり、展示会やモデル物件を見に行ったり、人に会って教えを乞うたりすることです。

 

私の(読書などの)自己投資のための費用は、企業における研究開発費と同じ意味合いを持つと思っています。

テスラの時価総額トヨタ自動車を超えた時点で、株は当面やめようと思いました。

 

個別企業を研究し、投資していく手法が意味をなさなくなったからです。

 

株式市場には魔物が住んでいるとしか思えず、今後は直接参加せず、十分距離を取って観察していこうと思っています。

 

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ヨコ勉を語学に応用したら?

今4つの外国語を学んでいるのですが、何のために勉強しているのかのコンセプトを変えていくべきではないかと考えています。

 

私はいいように言えば「奥ゆかしくてシャイ」で、悪く言えば「コミュニケーション能力に欠けている」ので、例え日本語であっても他人にペラペラと話しかけるようなことはありません。

 

ましてや見知らぬ外国人に外国語で、気軽に声をかけていくようなことはまずありえません。

 

特に中国人団体観光客に話しかけるようなことはゼッタイなく、むしろそのマナーの悪さから極力離れたく感じる方です。

 

ならば一体何のために語学を勉強しているかということになります。

 

私の場合「コミュニケーションの手段としての語学」というよりは「教養としての語学」に力を入れた方がいいのかもしれません。

 

もとより読書を知的生活の核とした生き方をしているので、本を中心にした勉強の方が自分の性(しょう)に合っていると思うのです。

 

語学の学習書はすべて横書きです。

 

ということは、一度「ヨコ勉」を語学に応用してもいいのではないかという気がしてきました。

 

ヨコ勉のキモは「わかっても、わからなくてもページをめくっていく」と「同じテーマの本を何冊も読んでいく」に尽きます。

 

語学は根を詰めて勉強しようとすると、ものすごく疲れるし、途中で飽きてきます。

 

ヨコ勉なら疲れる前にページを捲(めく)ってしまっているし、飽きたら読み飛ばしてしまえばいいだけの話です。

 

例えばフランス語の本をヨコ勉で100冊ほど読み飛ばせば、多少はモノになるのではないかと感じます。

 

一度やってみる価値がありそうで、結果はまたこのブログで報告します。

 

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「ヨコ勉」の威力

税務や会計や理科系の本は横書きが多いのです。

 

ページを左から捲(めく)っていくわけです。

 

こういった本は読むのが億劫(おっくう)で、また値段が高い本が少なくありません。

 

たまに「勉強しなければ」などという強迫観念や義務感から本を買うことがあるのですが、たいていはそのまま「つんどく」となってしまいます。

 

本棚の中にそういった「不良在庫」が多いと、本棚からドンヨリと曇ったオーラが漂い出します。

 

そんなスペースの中にいると(自分でも気がつかないうちに)何となく「やる気」が失せてくるので気をつけなければなりません。

 

買ってはみたものの、今まで手付かずだった横書きの本を「わかっても、わからなくても」とにかくページをめくっていくことにし、これを「ヨコ勉」と名づけました。

 

新聞や雑誌を端から端まで読む人はまずおらず、ふつうは興味のある記事のみに目を通すはずです(すなわち飛ばし読み)。

 

ヨコ勉はこの応用で「(いい加減な)飛ばし読みのチャンピオン」のような読み方です。

 

ただし同じテーマの本を「わかっても、わからなくても」何冊も読んでいきます。

 

本を読んでいて理解できないところが出て来ると、途端に脳のエネルギーの消費量が増え、そこから1歩も前に進まなかったり、ひどい時は学習意欲自体が急減したりします。

 

ところが「わからないところ」は「わからないままでいい」となると、別にどうってことはなく、気にせずに“どんどん”ページをめくっていけるのです。

 

このヨコ勉の威力はすさまじく、苦手だったテーマが、逆に少しずつ自分の得意分野になってくるのを肌で感じます。

 

今わからなくても、読み続けているうちに、やがて分かる時が来ることが「分かっている」のでストレスゼロで読み進めて行けるのです。

 

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ブログの筆休め

娘が「やまとなでしこ養成塾」などというものを主宰し、東京で着物の着付けや食事のマナーなどを教えています。

たまに経営者向きのマナー研修の依頼もあるらしく、「商品」を磨くために、モニターとして受講することを依頼されました。

友人たちも誘い、一緒になってフレンチをいただいたというわけです。

リッツカールトン大阪「ラ・ベ」

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前回、九州の小倉に「神たび」で行った時は、まだコロナ禍の最中で、ホテルのレストランも閉まっており、食べる処がなくて往生しました。

今回は下記のレストランが、たまたま「リニューアル・オープン」の日で、夕方5時半ごろにお店に入ったので、その第1号のお客さんとなりました。

天ぷらとお寿司を4種類ずつ自分でチョイスし、それが出て来るという形式でした。

料理も美味しかったのですが、スタッフの人たちのリニューアル・オープンにかける意気込みが伝わってきました。

リーガロイヤル小倉「皿倉」

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私の知人にスピリチュアルな感覚が発達している女性がおり、小さい頃からよく「見えた」そうです。

 

霊感と人格とは全くの別物で、霊感が優れているからと言って、人間的にも優れているとは決して言えず、ここを勘違いしては危険なのです。

 

むしろ浮遊霊や動物霊を引き付けてしまう人がおり、こういう人たちからは一目散に逃げるが勝ちなのです。

 

が、私の知人は透明感のある「ごくマトモ」な人で、神さまや神社の話で大そう盛り上がりました。

 

霊的感覚は彼女の方が圧倒的に上なのですが、スピリチュアルな知識においては私の方が断然まさっています。

 

その辺の絶妙なバランスも面白かったのです。

リッツカールトン大阪「香桃」

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長時間無休労働

不動産業としての我が社は売買仲介業からスタートしたのですが、売買仲介業はなぜか全国的に水曜日が定休日でした。

 

いつから水曜日が定休日になったのかは知らないのですが、少なくとも50年前からそうだったのは間違いがありません。

 

週休2日が普及するにつれ、不動産業でも火曜・水曜の連休が多くなったのですが、昔は水曜1日だけ。

 

その水曜も会社の用事で半日が潰れるなんてことも“しょっちゅう”でした。

 

毎日ヘトヘトになっているので、休日も家で寝ているだけで、家族サービスなるものはほとんどできませんでした。

 

長時間労働をしているからといって収入が多いということもなく(むしろ不安定で)、商売というのは小さくても大きくても実に大変です。

 

私は子供が2人いるのですが、上の子供とは遊んだ記憶がありますが、下の子供とは遊んだ記憶がありません。

 

これが今でも心の傷として残っています。

 

社員数が多くなると、会社自体は「定休日なし」でもやっていけるようになりました。

 

そうなると自分が休みの日でも会社が開いているものだから、ふらりと立ち寄り仕事をしたりしました。

 

1989年をピークとするバブルが崩壊すると、私自身も「定休日なし」で毎日働きました。

 

それ以外に不安をかき消す方法がなかったからでもあります。

 

休みなしで毎日働くと、やはり体調を崩すのです。

 

が、社員の人たちは会社を辞めることができても、社長の自分は辞めることができないという事実に気がついた時、ずっしりと気が重くなったことを覚えています。

 

借金が少ないと廃業という手も考えられるのですが、多いとそれもできないのです。

 

今の私は冗談半分で「週休5日」だと言っているのですが、昔はよく働き、そしてよく苦しんだものです。

 

 

メンテナンスの威力

「経営・人生統合計画書」に「行きたい所リスト」を書いているのですが、来年、月に1度のペースで、日帰りで行ける所を訪れて行くことにしました。

行く日と場所を決め、手帳に書き込んでいきます。

手帳に書き込んだ時点で、実現がほぼ100%確定します。

1時間半ほどの作業で、来年1年分の日帰り訪問の予定がすべて決まりました。

神道と歴史が私の興味ある分野なので、その中には神社もあるし、ミュージアムもあります。

そのほかにも自分のビジネス関連の展示会には躊躇(ちゅうちょ)なく足を運ぼうと思っています。

私は今67歳ですが、自分の小さな会社を軸にして、好きなように働き、好きなように投資し、好きなように勉強していきたいと思っています。

ある銀行の支店長の話なのですが、いろんな資産家を見てきて、いくら資産があっても、毎月の収入がない人は不幸感が強いということでした。

反対に何がしかの収入があり、それが生活費などの支出を超えている場合は満足感が高いそうです。

自分の体力や能力は衰えていくので、私の場合は「いかに不動産に機嫌よく働いてもらうか」が一番の課題です。

いつもきれいに不動産をメンテナンスしていると不動産も喜ぶし、その手間と費用をケチっていては不動産投資家(オーナー)の資格はないと思っています。

いい不動産は「街の宝」で、いい不動産が多い場所は値打ちも上がるし、そこで働く人も住んでいる人もうれしいのです。

人のカラダも不動産も、たえずメンテナンスしていくことで健康や美観が保たれると思うのです。

法隆寺は世界最古の木造建築物ですが、建築以来ほったらかしでは決してなく、その時代その時代に最高の手入れをしているはずです。