船が展示してあると、必ずそれを見たくなるというクセが私にはあり、ハンブルグや呉(くれ)では潜水艦の中まで見学し、戦艦三笠にもわざわざ訪れています。
今回、遣唐使船(を再現したもの)を見ることができ「こんな船で唐にまで行ったのか」と感慨深いものがありました。
遣唐使は当時のエリート中のエリートですが、唐の人たちに受け入れられやすくするために、容姿だって選別の条件に入っていました。
万葉集の中で「遣唐使の母」という作者の歌に次のようなものがあります。
「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば
我が子 羽(は)ぐくめ
天(あめ)の鶴群(たづむら)」
旅の道中を案ずる母親の心情が痛いほど伝わります。
『貧窮問答歌』を書いた、山上憶良(やまのうえのおくら)も遣唐使の1人だったことを、今回の「奈良への遠足」で初めて知りました。
阿部仲麻呂(あべのなかまろ)は超秀才で、日本人でありながら科挙の試験に合格し、玄宗皇帝に仕えました。
あまりに気に入られたものだから、なかなか日本への帰国許可が下りず、ようやく降りたと思ったら、今度は船がベトナムに流され、結局、日本には帰れませんでした。
「天の原 ふりさけ見れば
春日なる 三笠の山に いでし月かも」
この歌はあまりにも有名です。