行ったことはないけれど「オテル・ドゥ・ミクニ」の名前ぐらいは知っています。
三國さんはフレンチのカリスマ的存在です。
そのオーナーシェフの三國清三さんの『三流シェフ』を読みました。
北海道の寒村に生まれ、中学を卒業し、シェフの道を歩みました。
とは言え、そう簡単にシェフになれるわけでもなく、一流レストランだと何十人もの就職希望者が空きが出るのを待っているのです。
三國さんはどこへ行っても雑用を徹底的にこなすところから始めています。
そうすると見ている人は見ているわけで、帝国ホテルからジュネーブの日本大使館の料理人に推薦されます(なんと20歳のとき!)。
そこでの料理が各国大使の評判になり、何かと理由をつけては日本大使館に食事をしにくる外国の大使も少なくなかったとのこと。
その後はヨーロッパで、幾人かの超一流シェフのもとで働きました。
料理人同士が出会うと「お前はどこで働いた?」という話題になり、三國さんが働いたレストランを言っていくと、次第に相手は(そのすごさに)黙り込んでしまうのだそうです。
東京四谷の奥まった住宅を見て、ひとめで気に入り、玄関の呼び鈴を押し「この家を貸してください」と言ったそうです。
「私たちが住んでいるのに、それを君は貸して欲しいと言うの?」と住人は目を丸くしていたのですが、結局貸してもらえることになりました(神がかり?)。
それが今の「オテル・ドゥ・ミクニ」がある場所なのだそうです。