出雲大社参拝

仮に手帳に「明日」やることを記入すれば、これはもう100%実現(実行)するはずです。
では3日後ならどうか?
これもまた“ほとんど”実現してしまうに違いありません。
ならば1か月後は?
これも「できるか、できないか」で言うならば、圧倒的に「できる」に属するはずです。

もう少し期間を延ばし、半年後の予定を記入しても、これもまた実現する確率の方がずっと高いと思えます。
ならば1年後は?
これだって余程のことがなければ「実現」です。
むしろ計画を綿密に考える時間が増え、余計に中身の濃い「実現」が可能ではないかと思うのです。

ということは「手帳に書いたことは実現する」と言い切ってもいいのではないでしょうか。
「夢」は「これから来る時間」に存在しています(少なくとも夢を過去に求めるなんてことは絶対にありません)。
手帳の予定は将来のことばかりを書き入れるわけで、まさか過去に予定を入れる人はおりません。

「予定」も「夢」も今から来る時間(将来や未来)に存在するのです。
では「予定」と「夢」との違いは?
「予定」にワクワク感があれば、それはもう「夢」とみなしていいのではないでしょうか。
「嫌な仕事は一切しなくていい」というのが還暦を過ぎた人間の大特典なので、私の手帳には「嫌な仕事」や「気の乗らない用事」は全く入っていません。

たまに「好きな仕事か、嫌いな仕事かがよく分からない」というのもあるのですが、好き嫌いを言う前に、その仕事を楽しんでしまうことにしています。
従ってネガティブな予定は私の手帳には一切ないのです。

「やりたいことリスト」を睨(にら)みながら、それを手帳に落とし込んでいっています。
今年の予定はかなり詰まってきたのですが、手帳を見てみると、予定が未だ入っていない空白期間が8月の後半にありました。
せっかくだからと、そこに何か予定を書いてみるのですが、何かしらお腹にストンと落ちるものがなく、予定を書いては消すということを繰り返していました。

今日、本を読んでいる途中に「あっ、今年はまだ出雲大社に行く予定を入れていない!」ということに、唐突に気づいたのです。
そこで急きょ、出雲のホテルに予約を入れ、手帳にもその予定を記入しました。
クルマ旅なので、飛行機や新幹線の切符を取らなくてもいい分、非常に気が楽なのです。
手帳に記入された出雲大社参拝の予定は、最初からそこに入ることが予定されていたが如く「落ち着き」をもっています。
お腹にもストンと落ち、おかげで私の心も落ち着きました。