鍵山秀三郎先生のこと

毎日掃除しない日はないのですが、金曜日は自宅の掃除を特に本格的に、日曜日は会社を本格的に掃除しています。
たぶん普通のビジネスパーソンの数倍掃除しているのではないでしょうか。
それを22年間続けています。

バブルが弾けたあと、36歳、37歳、38歳の3年間は、私にとっては最悪の時期でした。
37歳ぐらいの時に、あるお節介なオバサンが私の運勢を見てくれ「38歳から運命が開ける」とのご宣託。
楽しみにして38歳になることを待っていたのですが、38歳になってもちっとも状況は良くなりません。

ところが38歳の7月に、ある人とお話ししていたら「鍵山秀三郎」なる人の名前が出てきました。
その1週間後、別の人とお話ししていたら、またもや「鍵山秀三郎」という名前が、その人の口から出てきたのです。
どうやら掃除を一生懸命やっている人であることだけは分かりました。

また最初の人からはトイレ掃除のビデオを、あとの人からは「鍵山秀三郎」さんの住所を教えてもらいました。
トイレ掃除のビデオは衝撃的でした。
ある男の人が早朝からトイレ掃除しているのを映しているだけのビデオなのですが、最後の方になるとウズウズしてきて、自分も早く掃除がしたくなりました。
あとから分かったのですが、その男の人というのが鍵山秀三郎先生であったわけです。

この鍵山秀三郎さんは、きっと自分にとってご縁のある方に違いないという直感が働き、さっそくハガキをお出ししました。
いわばファンレターです。
ハガキは「その1」、「その2」、「その3」と3枚もいっぺんにお出ししました。
文章がハガキ1枚では収まらなかったからです。

必ずお返事を頂けるという確信のようなものはあったのですが、しばらくして鍵山秀三郎先生からのハガキが返ってきたのです。
私の運命の扉が音を立てて開いた瞬間でした。
そのハガキは今でも大事に保存しています(そのハガキだけでなく、鍵山秀三郎先生からのハガキはすべて分厚い1冊のファイルに保存しています)。

それ以降の10年間ほどは、私の頭は寝ても覚めても鍵山秀三郎」一色でした。
何かの決断をしなければいけない時でも「鍵山秀三郎先生ならどうなさるだろうか?」を基準に考えておりました。
まさに師と呼ぶにふさわしい方なのであります。