2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

おりしもきのうはダンジリの日

そこに私の名前があるのは、冗談でなく、おこがましい限りです。 それを見たとき、宝塚市体育協会長を辞めるか、商売をやめるか、どちらかにしなければと思いました。 それが叶わないなら、せめて「もう人とは一切争わないようにしなければ」と真剣に思いま…

少年たちがスポーツ大会でいい成績を残すと、表彰状をもらいます。 その中に宝塚市長と並んで、宝塚市体育協会長である私の名前も入っているのです。 子供たちが誇りに思い、自分の家に飾る表彰状。 (私自身も表彰状はそのようにしていました)

開会式の後、いろいろ考えることもあり、また久しぶりに街の観察もしたかったので、1時間ほどかけて、会社まで歩いて帰りました。 十数人の人たちが、ゴミ袋を持って、街をきれいにしているのにも出会いました。 街を黙々とキレイにしているのは、何も自分だ…

自分を偉く見せようなどという思いは全くないのですが、偉くなろうという気持ちは多分にあります。 上昇志向がものすごく強いと、ともすれば何か自分が特別な人間だと思い込む危険性があるのです。 「上求菩提・下化衆生」などといっても、それもまた自分を…

立って見ているしか、ほかに仕様がなかったのですが、見ている間に、自分の中の何か“とんがった”ものが、丸くなっていくのを感じました。 別に悪い意味でなくても「自分が、自分が」と自意識過剰なのです。 「自分も世の中の一員なのだ」「いわば体を構成す…

とんがった「自分」

きのうは少年スポーツ団の野球やサッカーなどの開会式がありました。 私も役員の一人として、開会式に出席しました。 選手の入場行進の間、ほかの役員の人たちと一緒に、バックネットの前に一列に並んで、ずっと立って見ていました。 いろんな人が、いろんな…

スポーツの試合の開会式には、よく出て行きます。 たいていは日曜なのですが、私にとって日曜の朝は「掃除奉仕タイム」。 外の掃除の範囲を広げ、いつもより1時間ぐらい多く掃除しています。 普段でも2時間半ぐらいは掃除をしているので、「掃除奉仕デー」と…

わけの分からないままに、体育関係の会議にはよく引っ張り出されます。 それも議事進行役という重要な役割を担うことが多いのです。 冗談のような話なのですが、自分が司会進行役をやっているのに、会議の最後まで何の会議かよく分からなかったこともありま…

体育関係の行事

体育協会に所属して、一つよかったと思うことは、スポーツをやっている人は性格が真っすぐな人が多いということです。 ガバナビリティ(governability)という言葉がありますが、これはリーダーシップの反対、すなわち「被統治性、従順性」を意味します。 ス…

神様は悪いようには、けっしてなさらない。 すべてを捨てているのに、すべてに満たされている。 さあ今日もわくわくドキドキ「レッツ、ゴー!」。

だから過去にも未来にもとらわれない。 「自分」にもとらわれない。 そこには「やさしさ」と「やる気」に満ちたエネルギー体が存在するだけ。 このエネルギーは宇宙のパワーから無尽蔵。 こりゃ強い。

苦しみのほとんどは先が見えないところから来ていると思うのです。 だけど先のことを心配しても仕方がないんですよね、これが。 先のところは神様にお任せして、やるべきことを淡々とやっていけばいいだけなのです。 よく考えてみたら、それ以外に方法はない…

すべて捨て去り、真新しい自分がすっくと立っている。 目は未来を見つめ、夢を追う。 夢を追っている人は実に魅力的。 過去を引きずる「今」ではなく、夢につながる「今」でいきましょう。

過去のことは考えても仕方がないじゃないですか。 過去のことを考えて、ほんのチョッピリでも変えることができるでしょうか? 失敗も成功も、もう過去のことはどうでもいいじゃありませんか。

あるいは最初の計画のところに、ちょっとムリがあるのかもしれません。 「できる人」の失敗は、いつの間にか無理が重なり、バランスを崩すところから起きるのかもしれません。 仕事や健康や家庭。 謙虚にならなければ、人間はそんなに偉くも強くもないのです…

頑張っているはずなのに、一日があっという間に過ぎ去り、思っていたことの半分も出来ていない。 ひょっとしたら自分に期待しすぎているのかもしれません。 自分のやった仕事にも「足るを知る」でいいのではないでしょうか。

与える側に回れば、持越し苦労も取越し苦労も何にもなし。 でも与える側に回ったとしても、見返りを求めていたら、これまた苦しい。 見返りを求めない活動。 どうすれば縁ある人たちに、よりよく与えられるかを、ひたすら考えるだけでいいのだと思うのです。

自分の利益ばかりを考えているから苦しいのです。 自分が与えられることばかり、もっと言えば奪うことばかりに焦点を当てているから、泥沼から抜け出せない。 自分で勝手に苦しんでいるわけです。

魂は永遠。 この世限りだと思うから執着が生まれるのです。 自分が死ぬ事だって、最悪のことではないかもしれません。 だって人間の死亡率は100%。 みんなそれが分かっているのに、分かっていない。

捨てて軽くなる

自分のことばかり気にしているから心配で仕方がないのです。 この際自分の事を一度捨ててみてはどうかと思うのです。

今は瞑想よりも、無欲で働くことのほうが、自分には合っていると思います。 欲得をなくして働くならば、下手な瞑想よりもずっと精神レベルは向上するように思っています。 人それぞれのやり方があるのでしょう。 私の場合は「感謝と勤勉」。 これでいきます。

ストレス解消に瞑想という手もあるのですが、私の場合、悪い霊に忍び寄られる危険性のほうが大きいのではないかという危惧があり、あまりやっていません。 一度TM瞑想法というのを習いに行ったことがあるのですが、思いっきり熟睡しただけに終わりました。…

無欲で働く

以前に「ストレス解消グッズ」として、波の音を録音したテープを買ったことがあります。 延々と寄せては砕ける波の音だけ。 聞いていて、癒(いや)されているような気もするし、騙されているような気もして、何とも複雑な心境でした。

またベトナム戦争の時は、島の真上を米軍の大型爆撃機が南シナ海西の方向へ頻繁に飛来。 小野田さんは、それを仏印方面(フランス領インドシナ)で日本軍が再度猛反撃に出たのだと確信したのだそうです。 ほかに情報がない状況では仕方がなかったわけですが…

朝鮮戦争(あとから分かった)の時は、マニラ湾の米艦隊、空軍基地の動きが慌(あわただ)しくなり、海岸に機帆船の残がいが漂着し、そこには日本船籍を示す「○○丸」の字が。 小野田さんはそれを見て、遂に日本が大陸から反攻に転じたと思ったそうです。

小野田さんの戦況分析は次の通り。 日本本土はアメリカ軍に占領され、傀儡(かいらい)政権ができている。 しかし日本政府は満州に転進、関東軍を中心に徹底抗戦をしているはず。 友軍が来るまで、島の状況を把握する軍務を遂行すべし。

「救出捜査」の呼びかけに何故応じず、出て行かなかったかが、小野田さんの立場から書かれています。 まず投稿ビラには誤字が多かったのが第一。 「停戦を呼びかけながら、なぜ師団司令部から『停戦命令』が出ないのか?」が第二。 「投降のすすめ」は完全に…

『たった一人の30年戦争』(小野田寛郎・東京新聞出版局・1,602円)

戦争が終わっても、30年間フィリピン・ルバング島で「軍務」を遂行していた日本軍将校の小野田寛郎さん。 鈴木紀夫というちょっと“とぼけた”日本青年に出会い、後に上官から「任務解除命令」を受け取り、日本に帰国するまでの話が書かれています。 4人で戦っ…

まわりをキョロキョロ見ないで、自分の信じる道を行けばいい。 感謝と勤勉さえ忘れずにいれば、大きな間違いもなく、とてもいい方向に向かえそうです。 勤勉は世界を救い、感謝は自分を救う。 自分の努力とまわりの協力と神の恩寵があれば「成功しないわけが…