2006-10-19から1日間の記事一覧

またベトナム戦争の時は、島の真上を米軍の大型爆撃機が南シナ海西の方向へ頻繁に飛来。 小野田さんは、それを仏印方面(フランス領インドシナ)で日本軍が再度猛反撃に出たのだと確信したのだそうです。 ほかに情報がない状況では仕方がなかったわけですが…

朝鮮戦争(あとから分かった)の時は、マニラ湾の米艦隊、空軍基地の動きが慌(あわただ)しくなり、海岸に機帆船の残がいが漂着し、そこには日本船籍を示す「○○丸」の字が。 小野田さんはそれを見て、遂に日本が大陸から反攻に転じたと思ったそうです。

小野田さんの戦況分析は次の通り。 日本本土はアメリカ軍に占領され、傀儡(かいらい)政権ができている。 しかし日本政府は満州に転進、関東軍を中心に徹底抗戦をしているはず。 友軍が来るまで、島の状況を把握する軍務を遂行すべし。

「救出捜査」の呼びかけに何故応じず、出て行かなかったかが、小野田さんの立場から書かれています。 まず投稿ビラには誤字が多かったのが第一。 「停戦を呼びかけながら、なぜ師団司令部から『停戦命令』が出ないのか?」が第二。 「投降のすすめ」は完全に…

『たった一人の30年戦争』(小野田寛郎・東京新聞出版局・1,602円)

戦争が終わっても、30年間フィリピン・ルバング島で「軍務」を遂行していた日本軍将校の小野田寛郎さん。 鈴木紀夫というちょっと“とぼけた”日本青年に出会い、後に上官から「任務解除命令」を受け取り、日本に帰国するまでの話が書かれています。 4人で戦っ…