日本史に興味がある人にとって、奈良や京都は外せない場所でもあります。
私は関西に住んでいるのですが、それらの所に自宅から簡単に行けるラッキーさに今ごろ気がつきました。
若い頃は仕事ばかりやっていたので、神社や史跡をめぐる時間や心の余裕はありませんでした。
歴史への知識もないし、経済的な安定もなかったので、そういった「知的ぜいたく」は遠い世界の話でありました。
日本史に興味が湧くと、一生退屈することがないことにも気がつきました。
自動運転車が本格化し、ホイホイと行きたい所へ行ける時代が、もうすぐそこにまで来ています。
60歳代後半になって、時間、経済、興味、知識、健康、外部環境等々の諸条件が整いだしたというわけです。
ということで、今回は春日大社に行ってきました。
春日大社や興福寺は藤原氏のための社寺でもあったのですが、今や奈良を代表する場所になりました。
藤原氏自体は、もともと茨木県あたりの豪族だったのではないかと思われます。
奈良の鹿も(茨木県の)鹿島神宮から連れて来られたと言います。
春日大社のご祭神は「アメノコヤネの命(みこと)」とその奥さんと、「タケミカヅチの命」と「フツヌシの命」の4柱です。
アメノコヤネ命は藤原氏の祖先ですが、天照大神の孫の「ニニギの命」の天孫降臨につき従って降りてきました。
後世、藤原氏があれだけの権力を手にしながら、一度も天皇に代ろうとしなかったのは、その「史実」があるからです。
藤原氏のピークは藤原道長の代だと思うのですが、道長が自ら天皇になろうと思えば簡単になれたはずです。
しかしそうはしませんでした。
藤原一族は数多くの娘たちを天皇家に嫁がせましたが、息子たちは誰一人として天皇家に入りませんでした(入れませんでした)。
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まずは春日大社の宝物館に入場しました。
こういった場所には必ず入るようにしています。
現地で「そういうことだったのか!」と気づく経験も多いのです。
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ここから神域に入ります。
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最初に「祓戸(はらえど)の神」が祀られ、そこでケガレを落として奥に進むのですが、ここでは「セオリツひめ」がお祀りされていました。
実は私は「セオリツひめ」のファンでもあります。
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「サルタヒコの神」をお祀りしているお社もあり、なぜここにおられるのかが分からず、ビックリしました。
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「フツヌシの神」は香取神宮の、やはり「武」の神様です。
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唐への留学生に選ばれた阿部仲麻呂と吉備真備は、春日大社で壮行神事を行ってから旅立ったとのこと。
阿部仲麻呂は唐の玄宗皇帝に気に入られ、なかなか帰国の許可が得られなかったのですが、53歳の時にようやく一時帰国を許されました。
蘇州出向前の夜、停泊中の船内で読んだのが、この有名な歌です。
喜びに満ちあふれた歌ですが、難破して安南(ベトナム)に漂着。
結局、70歳で亡くなるまで、日本への帰国は叶いませんでした。
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金龍神社もありました。
箱根の九頭竜神社を参拝してから、龍に助けていただくことが多くなり、龍神の社を見かけては”ていねい”にお詣りしています。
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奥に進むと、ものすごく雰囲気のいい道が続きます。
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宗像三姉妹のイチキシマ姫もお祀りされていました。
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歴史が古い神社ならではです。
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春日大社も人が多くなり、ついに修学旅行生の姿も見ました。
今回は時間がなく、春日大社だけに終わりましたが、東大寺や興福寺や奈良国立博物館や奈良公園など、奈良には魅力的な場所がいっぱい残っています。
次回、また機会を見つけてやって来たいと思います。