古代の雄、藤原氏

奈良の春日大社興福寺は、権勢を誇った藤原氏のための社寺という一面がありました。

 

奈良には鹿がたくさんいますが、茨木県の鹿島神宮でも鹿がいることを知りました。

 

実は昔、奈良の鹿は鹿島神宮から連れていかれ、それが繁殖したのだそうです。

 

これは現地に実際に行ってみて分かったことの一つです。

 

鹿島神宮の近くに「伊能忠敬記念館」というのがあります。

 

伊能忠敬の子孫の方と会ったことがあるのですが(苗字はやっぱり伊能さんでした)、伊能家は藤原氏なのだそうです。

 

もともと藤原氏茨城県出身で、大和政権での出世にともない、鹿を連れて当時の首都の奈良へ移動したと考えられます。

 

藤原氏の先祖は天児屋命アメノコヤネのミコト)。

 

天照大神が天の岩戸に隠れられた時に、外に誘い出すために祝詞を唱えた神様でもあります。

 

また瓊瓊杵尊(ニニギノみこと)につき従って、この瑞穂の国に降り立った方でもあります。

 

ニニギノミコト天照大神のお孫さんです。

 

藤原氏の全盛期は藤原道長の時代ですが、道長は自分がいつでも天皇にとってかわるほどの権力を持っていたのに、これっぽっちもその様子はありませんでした。

 

自分の先祖が天皇家の家臣だったことを十分に自覚していたからでしょう。

 

藤原氏の娘たちは幾人も天皇家に嫁ぎましたが、息子たちは一切ファミリーとして天皇家には入りませんでした。

 

初代神武天皇と同じ男子のY遺伝子を持った者でないと天皇にはなれないからです。

 

蘇我氏天皇家に歯向って滅びましたが、藤原氏天皇家を助ける役割を節目節目で遂行しています。

 

天智天皇を助けた藤原鎌足をはじめ、道鏡から和気清麻呂(わけのきよまろ)を守った藤原百川(ふじわらのももかわ)という人もいます。