掃除は神事

38歳の時に鍵山秀三郎先生と出会い、それから今日まで28年間、(旅行などを除く)ほぼ毎日2時間ほどの掃除をしてきました。

掃除は時間がたっぷりある時は楽しいのですが、時間に迫られると苦痛になります。

掃除に対する心情も色々と変化してきたのですが、今は掃除を「神事」だと捉(とら)えています。

「埃(ほこり)ぐらいでは人間は死なない」と言いますが「いや、死ぬんだよ」とは斎藤一人さんの言葉です。

経営コンサルタント一倉定先生は、口を酸っぱくして「環境整備(つまり掃除)」の大切さを説いておられました。

神道や仏教でも掃除を極めて重要視します。

天理教の本部へ行くと、その掃除の徹底さに感動すら覚えるほどです。

コインパーキングを自分たちで清掃しているのですが、落ち葉の季節になると大変な労力が必要な場所もあります。

しかしながら(やってみると実感できるのですが)落ち葉をひたすら掃いていると一種の瞑想状態に陥(おちい)り、いつの間にか心が透明になっていくのを感じます。

これでお金までもらえるのですから、まさしく「大儲け」。

都会で働くホワイトカラーの人たちなどは、落ち葉を掃くチャンスもなく、もうそれだけでも自分は恵まれていると神様に感謝しています。

家で掃除に夢中になっていると、時たま会社に出社するのを忘れることがあり、もし私がサラリーマンなら簡単にクビになっているはずです。

掃除を始めた頃、鍵山秀三郎先生から「10年偉大なり、20年畏(おそ)るべし、30年にして歴史なる」という言葉を教えていただきました。

もう2年ほど掃除を続ければ、私は「歴史なる」の境地に入るのですが、掃除がここまで続くとは思いもしませんでした。