東京へクルマで行った際、長篠設楽原(ながしのしたらはら)パーキングエリアで休憩しました。
「長篠の戦い」というのは歴史の知識で知っていましたが、パーキングエリアから戦いのあった地形を見下ろすことができました。
大軍同士が戦うには、少し狭い地域だということも分かりました。
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現地を見たあとの1週間ほどの間に、たまたま読んだ本の中に長篠の戦いのことが書いてあるという体験を何回かしました。
今まで読み飛ばしていたのに、意識しだした途端にそれらに関する記述が目に飛び込んできたのかもしれないし、あるいは自分の意識がそういった本を引き寄せたのかもしれません。
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長篠設楽原の戦いは、織田・徳川連合軍が武田軍を破った戦いなのですが「第1次天下分け目の戦い」と称してもいいくらいの重要な戦いでもあったのです。
もし武田が勝っていたら、その後は武田の世になっていたかもしれません。
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武田勝頼は凡庸な大将ではなく、むしろ「武」の能力は信玄を超えていたと言われる人物です。
強すぎるのが欠点ともいわれていました。
すなわち軍事を偏重しすぎ、外交や内政が疎(おろそ)かになっていたとも言えるし、「徳」が強さに追いついていなかったとも言えます。
この辺は項羽と似た「匂い」を感じます。
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現地で実際に地形を見ているので、本を読んでいても理解の速さや深さが全然違ってくるのを感じました。
特に酒井忠次の山越えでの武田軍の山城攻めは、極めて大変な行軍だっただろうと思います。
徹夜で敵軍の城に向かい、3度も城を取ったり取られたりするという激しい攻防の末、遂に武田軍を敗走させるのです。
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酒井忠次という人は、今までほとんど知らなかった武将ですが、徳川家康の第一の家臣で、家康が絡(から)んだ戦いにはすべて参加し、数々の武功を立てています。
しかも、あれだけ数々の戦いに参加しているにもかかわらず、70歳の天寿を全うし、畳の上で死んでいるのです。
さらに自分が仕えた家康は天下を取っています。
武人としては極めて幸福な生涯だったかもしれません。
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今まで私は戦国時代に特に興味があったと言うわけではなかったのですが、これを機に少し深入りしてみようかと思っています。