政治へのスタンス

私は毎月伊勢神宮に参拝に行っているように、神道にハマっています。
当然ながら「神道史観」であり、自ずとその政治的スタンスは決まってきます。
そういったスタンスは保ちながら、もう政治的な発言は出来るだけやめようと思うのです。
また政治にかかわることに時間を取られないようにしていこうと思っています。

例えば大企業の経営者が政治的立場を鮮明にしすぎるのは消費者に対して具合が悪いと思うのです。
中小企業の創業者でも政治的な色合いを濃く出し過ぎると、商売としてはマズイのかもしれません。
経営と政治とは別物として扱うべきなのでしょう。

政治に深入りすると時間が取られます。
今の私にとって時間は貴重な資源であり、仕事や勉強以外のものに時間を割くわけにはいかないのです。
また人によって政治的な立場は随分違ってくるので、政治的なものを前面に出せば出すほど、交流の幅を狭めるといった現象が出てくると思うのです。

読んだ本の中で次のような物語がありました。
昔の外国での話だったと思います。
あるところに人望のある青年がいました。
圧政が敷かれていた時代だったのですが、その青年は自然に人々から担がれ、時の権力に対抗するリーダーのような立場になりました。
ところが最終的には捕まり、処刑されることになってしまいます。

その処刑を見守る群衆の中に、絶望的な眼で見つめる家族の姿を見つけました。
青年は「なぜこんなことになったのだろう?自分が政治的な興味を持っていたわけではない。ただ人々に頼られ、リーダーに祭り上げられ、結果としてこうなってしまったのだ」と悔いたのですが、もうその時には遅かったというものです。

私のまわりでも選挙に出馬しようかという人は「おじいちゃんが村長をしていた」とか「身内に政治好きの人がいる」といった環境の人が少なくありません。
やはり血が騒ぐのでしょう。
あるいは「政治を変える!」などと言いながら、結局は自己顕示欲を満たしたいがためだけの人も、国会議員クラスの人たちの中にも結構います。

風に乗り大都市の知事になったような人でも、どこまでその人気が続くかは疑問です。
いったん向かい風が吹き始めると、あっという間にバッシングの対象となってしまいます。
「サルは木から落ちてもサルだが、議員が選挙に落ちるとただの人」というのは有名な言葉ですが、働き盛りの時に議席を失い、落選を続けたりすると、その後の人生は目も当てられません。