「北極老人」その2

いくつかの別の本から「北極老人」なる人物の名前を知りました。
教え子たちの断片的な情報から、ほんのチョッピリその“人となり”を知ることが出来たのですが、相当の人物だと見受けられました。
斎藤一人さんを初めて知った時と同じようなワクワクした期待感があります。

還暦も過ぎ、生活のために働かなければいけない時期も過ぎ、これからは自分が「やりたいこと」をしていこうと考えているのですが、その「やりたいこと」の中には「精神的レベルをもう3段階ぐらい高める」というのがあります。
北極老人のことを私自身もよく知らないので、このブログでも説明のしようがないのですが、「今後の生き方は北極老人の方向へ向かおう!」とまで考えています。

方向性だけは大体わかるのです。
まず自宅や会社の不要なモノを捨てることから始めようと思っています。
「捨てる」のも一種の慣れで、お陰様でホイホイと執着なく捨てられるようになりました。
「捨て道」四段ぐらいではないかと自分では思っています。

一度捨てても、放っておくと必ず増えていくので「1日1捨て」の実践を継続して行くべきだとも思っています。
捨てた後は「整理・整頓・清掃」です。
北極老人の経営していた塾や自宅は、チリ一つないほどキレイに掃除されていたとのことです。

「掃除する暇があるなら仕事しろ」という人がいるかもしれませんが、いくら頑張って仕事したところで、自分一人の力なんて知れているのです。
それよりも徹底的に掃除して神さまに降りてきていただき、神さまのお力をお借りする方が多分1万倍ぐらい効率がいいのではないかと思います。

掃除は神さまをお迎えするための儀式だったのですね。
それが理解できれば自(おの)ずとどういう掃除をすればいいのかが分かってくると思うのです。
私も38歳の時に鍵山流掃除道と巡り合い、それ以降約35年間掃除に取り組んできました。

掃除に費やした時間は、恐らく1万時間を超えているのではないかと思います。
ようやくここにきて「神さまに奉げる掃除」というコンセプト(というより一種の悟り)を得ることが出来ました。
今後、掃除はいくらしてもいいことにしようと思います。