ちょっと考えさせられたメール

私にはメール上での親友がいます。
今は頻度が減っているのですが、一時期毎日のようにメールを打ち合っていた時期があります。
経営のことや人生のことを互いにメールで話し合いました。
今でもこの時メールで考えたことや、教えてもらったことや、また気がついたことが大きな財産になっているように思います。
先日いただいたメールには、ちょっと考えさせられました。

『私の子供がまだ2〜3才頃、家内が毎日、公園に遊びに連れて行っていました。
その頃、同じくらいの子供を連れて公園に来るお母さんどうしが仲良くなって、お付き合いが始まりました。
いつも7組のお母さんが子供を遊びに連れて来て、公園で一緒になっていました。

そのうちの1組のお母さんが癌で、先週お亡くなりになりました。
まだ40台半ばの若さです。
そのお母さんがいつも公園に連れてきていた女の子は一人っ子。
公園に連れて来ていた頃、その母さんのご家族は、ご主人と、奥さん、一人娘と、ご主人のお母さんの4人家族で、比較的裕福な生活をされておられました。
この家庭の悲劇はお母さんが亡くなったということだけではないのです。

10年くらい前に、ご主人が脱サラをしました。
ある販売会社にお勤めだったのですが、自分の成績がよかったこともあり独立されたようです。
ご主人が独立した頃、飲み屋の女性から自宅兼事務所の電話に頻繁に誘いの電話がかかってくると、奥さんがよく愚痴をこぼしていたそうです。
ご主人は接待だと言ってはよく飲みに行っていたとのこと。
そんな状況ですから経営がうまくいくはずもなく、独立後5年目くらいに、自宅を担保に借り入れていた事業資金が返せなくなり、自宅を競売で失うことになってしまいました。

奥さんは一人娘を連れて離婚し、近所で娘さんと二人暮らし。
お葬式の当日、元ご主人が葬儀の一番後ろにポツンと参列していました。
髪は茶髪で耳にはピアスをしての参列には、なんとも驚きました。

奥さんは自宅を競売で失って、娘と二人で経済的にもかなり苦しい生活をしていたようです。
そんな心労から癌が発生して、5年間くらい入退院や手術を繰り返していたようなのです。
普通は兄弟や親といった親戚がお見舞いに来てくれそうなものですが、手術に立ち会う人もいないような状況。
でも兄弟や親がいないわけではないのです。
親類縁者には手術に立ち会う人がいないので、公園仲間のお母さんが手術に立ち会っていたようです。

娘さんは現在、高校1年生。
お母さんが亡くなって、お葬式の喪主がその一人娘。
てっきりお母さんの兄弟とか、親戚の方が喪主になると思っていましたが、これにも驚きました。
経済的な事情から、お葬式といっても公共の施設で最も低予算のお葬式です。
祭壇もなにも無く、お坊さんもいません。
ほんとうに少ない参列者に見送られるだけの葬儀でした。
なんとも寂しい最後です。
それに、残された一人娘はこれからどうなるのでしょうか?
何とも厳しい試練です。

公園仲間のお母さんの話はもうひとつオマケがあるのですが、仲良くしていたお母さん7組のうち3組は離婚して母子家庭として暮らしています。
十年ひと昔といいますが、10年経過すると随分と変わってしまうものです』