努力よりも脱力を

本を読んでいて「努力よりも脱力を」という言葉と出会い、スコンと腹落ちしました。

 

私自身の年代から言っても、また時代の流れから言っても、これからは立身出世型の孔子ではなく、大自然に即した生き方の老子が求められているのではないかと思うのです。

 

「脱力」の意味は、全身の力を抜いてリラックスし、しかしながらどんなことにもすぐに対応できる自然体の姿勢がそのイメージです。

 

目標を設定するのは大事なことですが、それに対しての過度の努力や我慢は何かしらムリがあるような気がするのです。

 

ワクワクする目標に向かって、淡々と「やるべきこと」を楽しんでいくというのが正解ではないでしょうか。

 

10年ほど前から神社めぐりをやり始め、今や神社めぐりの合間をぬって仕事をしているといった感も無きにしもあらずですが、時を同じくして「ポジティブ・マインド」が自分自身に定着してきました。

 

その間、膨大の本も読んできているので、「ポジティブ・マインド」が神社で受ける良き波動から来ているのか、あるいは読書から来ているのかは分かりませんが(多分その両方からでしょう)、60代からかなりいい心の状態になってきたのは間違いありません。

 

もし学生時代や若い社会人のときに、今のような「ポジティブ・マインド」を持っていたら、数倍濃縮な時間と成果があったと思え残念です。

 

が、ウダウダしたムダな時間も、今の「ポジティブ・マインド」を得るための過程として、必要だったのかもしれません。

 

そう思うと60代のゲットでも遅すぎるということはなく、この「ポジティブ・マインド」を活用して、今からの30年間を楽しもうと思うのです。