フランス語の新聞を読んでいて、時たま、英語でも見かけたことがあるような単語が出てくることがあります。
辞書で調べると、大抵それは英語での意味と同じなのです。
もともとそれらの言葉はラテン語からきているのかもしれません。
ラテン語は西洋の言葉の「漢文」のようなものではないかと感じます。
漢文は日本や韓国やベトナムなどで、知識人の間で通用した言葉です。
空海が遣唐使として派遣されたとき、船が難破し、中国の海沿いの片田舎に流されました。
その時にサラサラと漢文を書いて、現地の役人に見せたところ、その内容の高さと文字の達筆さに「この方は教養があり、身分が高い人に違いない」と待遇がよくなり、無事,唐に向けて出発できたという話があります。
つまり漢文は当時の教養人の共通語であったわけです。
古来の日本語は、大和言葉と、外来語である漢文とが入り混じって形成されました。
万葉集はほとんどすべてが大和言葉でつづられ、外来語は「衛士(えじ))と「菊」だけなのだそうです(菊が漢語だったとは驚き)。
神道の祝詞(のりと)に至っては、例外なくすべてが大和言葉だけで成り立っています。
英語にも(いわば漢語のような)「ラテン語ことば」と、イギリス土着の「いぎりす・ことば」とがあるように思います。
例えば「延期する」という意味の「postpone」が「ラテン語ことば」で、「put off」が「いぎりす・ことば」です。
学習者としては「postpone」のほうが分かりやすく、「put off」だと辞書を調べること自体が難しくなります。
したがってラテン語や漢文は、学習者、即ち教養人の共通語になりやすいということになります。