神道的生き方

自分の仕事や生活のパターンというのが定着してきて「もうこれで進んでいくしかない」と思っています。

 

ということは、逆にこれ以外のことはできないわけで、自分に出来ないことを軽々とこなしていく人たちのことを羨(うらや)んだりしてはいけないということでもあります。

 

頑張っている人を見て刺激を受けるのは大いに「あり」ですが、他と自分を比べて「劣っている」とか「すぐれている」とかイチイチ考えるのは時間のムダだという気がします。

 

自分の持てる範囲で最高のパフォーマンスをしていくことだけに集中していきたいと思うのです。

 

人は自分が与えられた道を歩むとき、勝手に幸せになっていきます。

 

変な欲望や見栄で、道を外れようとするからおかしくなるわけです。

 

神社へ行って神さまの波動に合わせていくと、本来の自分が取り戻せるように思います。

 

神社へ1回や2回行っても、実際のところはよく分からないのですが、アホになって行き続けていると、いつのまにか豊かで幸せな自分になっていることにハッと気がつくことがあります。

 

私は齢(よわい)68歳になって「神道を普及させることが、ひょっとしたら自分の使命かもしれない」という気になってきました。

 

もっと早く気がつけばいいようなものですが、ちょうど機が熟したということなのでしょう。

 

下手な商売を長く続けてきたのも、今となっては何か意味があったのかもしれません。

 

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