「リタイア」を経済的自立と捉える

できるだけ早いうちにリタイアし、南の島でユックリするという考え方があります。

アメリカ人などはどうもその考え方が強いようで、猛烈に働いてお金を貯めたあと、ぷっつりと現役を引退するのが一種の理想のようです。

そういう考え方はエリートだけかと思っていたら、かつては工場労働者でも高校を卒業し、地元の工場で30年ほど働いたあと、50歳前にリタイアした(できた)人が多かったことを本で読んで知りました。

アダムとイブは禁断の木の実を食べたために「罰として」働かなくてはならないようになったのですが、わが国では天照大神(アマテラスおおみかみ)ご自身が機(はた)を織って働いておられるのです。

「労働は罰」だというのと「労働は尊い」というのとでは、仕事への価値観が180度違ってきます。

しかしながら、いつまでも生活のために働かなければならないのは苦痛です。

「リタイア」を経済的自立と捉(とらえ)えたいと思うのです。

ならばリタイアして働かないのではなく、「リタイア」して好きな仕事を存分に楽しみたいわけです。

南の島でユックリしたり、ゴルフ三昧に耽(ふけ)ったりするのも悪くはないかもしれませんが、ある程度堪能したら“やっぱり”飽きると思うのです。

そこが天職との違い。

遊びばかりでは魂が停滞し、成長しません。

天職の境地に入ると、遊びも仕事も一緒くたになり、どこまでが遊びで、どこまでが仕事かが分からなくなってしまいます。

それでいてずっと楽しいわけです。

成功している会社やお店の経営者や店主には「仕事が趣味」という人が実に多いのですが、それがもう少し高いレベルに達すると天職になってしまうのでしょう。

いずれにせよお金のことを心配をせずに、好きなだけ働ける状態に早くしたいものです。