掃除は神事

掃除というのは、ていねいにやると時間がかかるのです。
「掃除にかける時間を、本来の仕事に回した方がいい」
という意見もあるのですが、
長い目で見ると、どうもその考え方は間違っているようです。

掃除を“なおざり”にしていると、
いつのまにか波動が悪くなり、
「場」のバランスが崩れていきます。

波長同通の法則というのがあり、
悪い波動には別の悪い波動が引き寄せられてくるのです。
「割れたガラス理論」というのがありますが、
ちょうどそれと同じような現象が起こるわけです。

特に日本の神様は“きれい好き”なので、
汚れた場には決してやって来てはいただけないのです。

私も27年間「鍵山流掃除道」を実践してきましたが、
ていねいな掃除を実践していくには、
やはりそれを支える「哲学」が必要なのです。

掃除が続かないのは、
それを裏付ける理論なり哲学が希薄だからだと思います。

今の私の掃除を支える言葉は「掃除は神事」というものです。
神さまに来ていただくための掃除であるならば、
心を込めざるを得ないのです。

掃除の時間を省略して、その分仕事をしたとしても、
非効率な仕事を長時間かけて無駄にやっていることが、
多いように思うのです。

それならば掃除を一生懸命して、神さまに来ていただき、
神さまのお力をお借りしたほうが、
よっぽど効率がいいというものです。

会社や自宅を丁寧(ていねい)に掃除すると、
その場がパワースポット化してきます。
そこにいるだけで、スッと冥想できるような気になったり、
文字通り「ゾーン」化し、仕事に超集中できたりします。