出雲大社から帰って来て

出雲大社に1泊で行ってきて、今はまだハッキリした形にはなっていないけれど、得たものは大きかったのではないかと思います。
しかしながら来年は3回参拝する計画でいたのですが、年1回でいいかもしれないと思いました。
出雲大社ぐらいになると、スピリチュアル的に期待するものが大きいのですが、こちらの感度が鈍く、あまり降りてくるものがなかったからでもあります。

伊勢神宮に毎月お伺いしていることだし、(畏れながら)出雲大社の方は年に1度のご挨拶にさせていただこうと思います。
1泊の旅行だと、結構負担が大きいのです。
そうでなくても時間がないのに、旅行中の時間は当然のことながら、それ以外にも旅行の準備や、あるいは帰ってからの片づけだけで計3時間以上費やしています。
語学の勉強と読書が丸2日間できず、これもツライところ。

これから毎金曜日にスイミングに行こうという計画を練っています。
「これも果たして続くのか?」…と、やや弱気になってきています(まだ1回も行っていないのに)。
気持ちがハイ(躁)の時にホイホイと企画したことが、あとあと高負担になるケースも少なくないのです。

自分の仕事をコインパーキングに特化しようと決めてからは、自らコインパーキングの「世話」をするようにしています。
あまり遠方へ度々(たびたび)出かけていると、早い話がコインパーキングの掃除をする時間が無くなってしまうのです。

将来「収益が上がっている」コインパーキングや「会社に近い」コインパーキングに絞って保有・運営し、あとのコインパーキングは処分(売却)してもいいかもしれないという構想も考えていました。
が、売却予定の方に入れたコインパーキングの集金に回ったとき、それぞれのコインパーキングが「とても”いとおしく”」感じられたのです。

自分の手で集金し、自分の手で掃除しているので、愛着がスゴク湧いているということに気がつきました。
集金、清掃とも、今の台数が“ほぼ”時間の限界のように思います。
幸か不幸か、新規のコインパーキングもなかなか増えないし、現状のまま、できる限り「コインパーキングたち」の世話を一生懸命していこうという気になりました。

今これを書いていて、この気づきこそが大国主命オオクニヌシのみこと)からのインスピレーションではないかと感じました。
やはり参拝はムダではなかったのです。