世界史に載る事件

日本の歴史を振り返る時、あまり中国大陸や朝鮮半島に関わらない方が具合がいいことが多いのです。
今も全く同じ。
個々の企業が取引することは別に構わないのですが、国と国との接触はある一定の距離を保っておくべきだと思うのです。
反日国に無理やり合わせていく必要は、百害あって一利なしだと感じています。

中国大陸でも経済の崩壊から国の分裂に至る可能性が無きにしもあらずで、そのあいだ日本が取る手は「じっと静観する」に尽きるのではないでしょうか。
中国は7つの軍区に分裂し、それがまた統合されて2,3の国になったり、1つの国にまとまったりするシナリオも十分考えられると思うのです。

将来、世界史の教科書に載るような事件をいくつも横目で見ながら、ぼうっとして見過ごしてきました。
例えば1989年は大変な年で、5月に天安門事件、そして11月にベルリンの壁の崩壊がありました。
それぞれが大事件なのに、私は新聞もよく読まず、理解もあまり出来ていなかったように思います。

ちなみに1989年は日本でも歴史の節目となった年で、その年の大納会(12月29日)に日本の株価は38,957円という史上最高値をつけました。
そしてそれをピークに後は一途に下がっていくばかりの「失われた20年」となりました。
塗炭の苦しみを味わったわけです。

もっと余談を付け加えるなら、1989年は日本の各界での超一流の人物が次々と亡くなった年でもあるのです。
2月に手塚治虫が亡くなり、6月には美空ひばりが亡くなりました。
手塚治虫が62歳、美空ひばりは52歳で、お二人の才能から言えば、そこからまだまだ名作やヒット曲が生まれていたはずです。

1989年は昭和から平成へと年号が変わった年でもあります。
1月7日に昭和天皇崩御されたからです。
昭和天皇は人格的・霊格的に相当レベルの高いお方だと思います。
が、明治神宮明治天皇がご祭神)のような神社はできませんでした。
やはり敗戦が影響しているのだと思います。

ソ連邦が崩壊消滅したのが1991年。
私はこの時も何も分からずに過ごしてしまいました。
バブル経済の崩壊がハッキリしてきて、私自身も会社の倒産を防ぐために必死で、全く余裕がなかったからです。