ヴィクトリア時代

イギリスが最も輝いたのがヴィクトリア時代
1837年から1901年までのヴィクトリア女王の時代です。
彼女はわずか18歳で女王になりました。
夫であるアルバート公との仲もよく、9人もの子宝にも恵まれました。
偉大な女王だけではなく、偉大な母でもあったわけです。

この時代に有名なホイッグ党トーリー党の二大政党が覇を競いあっていました。
ホイッグ党は後に自由党トーリー党は保守党になるわけです。
日本でも明治維新の時には、輝くばかりのリーダー達がいっぱい出てきたわけですが、イギリスのこの時代も超大物の政治家が活躍しました。
その代表がグラッドストーンディズレーリー。

ある婦人がグラッドストーンと話す機会があり、その感想が「グラッドストーンさんって、なんて素晴らしい方なのでしょう!」。
同じ婦人が今度はディズレーリーと話す機会があり、その感想は「ディズレーリーさんとお話ししていたら『私はなんて素晴らしい女なんだ』と思えてきました」。
この勝負はディズレーリーの勝ちだと思うのです。

ディズレーリー(Disraeli)は名前の中にイスラエル(israel)が入っています。
つまりユダヤ系なのですが、差別をものともせず、イギリスの首相にまでなっています。
そのディズレーリーが首相の時、スエズ運河の権利が売りに出される情報をキャッチしました。
緊急案件で、とても議会の承諾を得ている暇はなく、ディズレーリーはロスチャイルド家からお金を借り、独断でその権利を購入しました。
あとで野党に攻められたものの、この決断は後々のイギリスの国益に大いに貢献したことは言うまでもありません。

ヴィクトリア時代は政治、経済、軍事、文化、そして技術のすべてにおいて一流の時代でもありました。
産業革命が田舎国イギリスを世界のスーパーパワーにまで高めたのです。
ヴィクトリア女王の54年間の治世の間に、イギリスの人口は倍増し、またイギリスは世界の4分の1を支配下に置きました。

ただ、どの時代にも「光と影」があり、貧富の格差は相当拡大しました。
ロンドンは急激な都市化現象に見舞われ、たぶん人類第一号の公害が起こりました。
子供が工場や鉱山で働くこともあったようです。

富める者はより豊かになり、貧しいものはいつまでたっても苦しい生活。
元々の貴族階級や新興産業でのし上がった連中は“やりたい放題”。
シャーロックホームズを書いたコナン・ドイルは、こういった風潮を苦々しく思っていた一人でありました。