歴史の「もし」・太平洋戦争編

太平洋戦争、もしく大東亜戦争と呼ばれる先の大戦で「戦争責任はすべて日本にある」といった東京裁判史観もあれば、「日本が犠牲になって戦ったからこそ、アジアが欧州の植民地から独立できた」という見方(事実)もあります。
もし日本が唯一「戦争で悪かった点」を挙げるとするならば、それは「戦争に負けたこと」であると思うのです。

敗戦とは会社で言うならば倒産。
経営者は会社を倒産させてはいけないのと同じように、国家の指導者たちも国を敗戦に導いては絶対にならないのです。
やはり「軍の驕(おご)り」がそこにはあったのだと思います。
明治時代の先達たちの理想が、どこかでズレてしまいました。
政治家にしても軍人にしても、明治と昭和じゃ人物のスケールが全然違ってきます。

歴史に「もし」はないのですが、いくつかのターニングポイントで間違った判断をしていなければ、日本の敗戦はなかったかもしれないのです。
例えば日露戦争に勝利した後、アメリカの鉄道王ハリマンからの満州鉄道の共同経営の申し出がありました。
桂太郎首相は仮調印まで行ったのですが、小村寿太郎外相の猛烈な反対により、それをキャンセルしてしまいます。
それによりアメリカから大きな不信感を持たれ、それが後の日本人移民排撃運動へとつながったわけです。

アメリカと手を組み満州鉄道開拓を行っていたならば、太平洋戦争自体が起こっていなかった可能性があります。
小村寿太郎は偉大な外交官だと思いますが、なぜ反対したのでしょうか?
彼の脳裏には、やがて満州地域で力をつけたアメリカの勢力と、アメリカ本土の両方から、日本が挟み撃ちにあうといったシナリオがイメージされたのかもしれません。

実際の歴史がどう展開していたかは、これは何とも分からないところ。
満鉄の日米共同経営には、井上薫渋沢栄一などの大物も賛成していたのですから、小村寿太郎外相一人を説得できなかったことが悔やまれます。
ましてやハリマンには日露戦争の際の戦時公債500万ドルを引き受けてもらった恩義があったはずです。

アメリカのルーズベルト大統領に画策されて、日本が太平洋戦争に引きずり込まれた感があります。
ハル・ノート」という日本が到底飲むことのできない最後通牒を、アメリカが出すことによって戦争へと突入しました。
このハルの部下にホワイトという人がおり「ハル・ノート」は実はこの人が作成したのです。
そしてこのホワイトは何と、ソ連工作員でありました。
アメリカと日本が戦って、一番利益を得るのがソ連であったからです。

第2次世界大戦において、日本が負けたのはアメリカだけ。
あとはイギリスを始め欧州勢力にはすべて勝ち、無論中国にも圧勝していました。
その唯一日本に勝ったアメリカと、戦争をしなくてもよかったかもしれないのです。
また実際の戦争においても、フィリピンからマッカーサーが逃げるところを捕まえていたり、ミッドウェーで司令官のちょっとした判断ミスがなければ、有利な条件で戦争を終わらせることもできたはずなのです。