コミンテルの存在

太平洋戦争が終わったとき、渡部昇一先生はまだ子供だったのですが、その後「どうして戦争が起こり、どうして日本が負けたのか?」をずっと考えてきたそうです。

 

戦争について書かれた本を目にしたら、すべて買って読んでいくうち、戦争に導く一本の筋のようなものが見えてきたとのこと。

 

それはソ連共産党を中心とするコミンテル(国際共産主義運動)の存在です。

 

コミンテルにとっては、アメリカも日本も敵で、ならば敵同士を戦わせればいいではないかというのが、その戦略でもありました。

 

朝日新聞記者の尾崎秀実(おざきほつみ)はソ連のスパイだったのですが、うまく近衛文麿首相のブレインに潜り込み、アメリカとの戦争に持ち込むことに成功します。

 

強硬な戦争遂行論を述べる論客でもあったのですが、それは即ち、日米対戦がソ連国益に合致するからでありました。

 

一見、当時の世論に合致する強硬論者(極右)が、まさかソ連のスパイとは誰も気づかなかったはずです。

 

尾崎秀実と連携していたリヒャルト・ゾルゲというソ連工作員がいました。

 

この人は本当はソ連共産党員だったのですが、ナチス党員のドイツ新聞記者として来日し、駐日ドイツ大使の信頼を獲得し、日本の中枢部にも深く入っていきました。

 

駐日ドイツ大使は最後までゾルゲがソ連のスパイだと思わず、逮捕後ゾルゲ自身の口からスパイだと述べられ、あまりのショックに大使の辞表を提出したほどです。

 

御前会議で、日本はソ連とは事を構えないで、南進政策を取ると決定したのですが、この情報がゾルゲによってソ連に伝えられました。

 

よってソ連は軍をシベリア方面から撤収することができ、対独戦に絞って戦うことができました。

 

ゾルゲ一人で10個師団ぐらいの働きをしたわけです。

 

ちなみに「ゾルゲ」とはドイツ語で「心配」という意味ですが、なのにだれも心配していなかったというわけです。