1990年〜1997年

ベルリンの壁崩壊からわずか1年で、1990年の10月に東西ドイツが統一。
その年1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻し全土を制圧。
そして翌1991年(平成3年)に湾岸戦争が勃発。
湾岸戦争は直接には関係ないかもしれませんが、湾岸戦争以降、日本経済は急激に悪化していった記憶があります。
ソ連ではクーデターが起こり、ゴルバチョフ大統領が身柄を拘束されます。
その後1991年12月にソ連は正式に消滅することになりました。

1994年(平成6年)日本は記録的猛暑で水不足に。
水が足らないということが、どれほど大変かということを知りました。
1995年(平成7年)1月17日に阪神大震災
その3月に地下鉄サリン事件が起こります。
この年は災難の年でした。
1996年(平成8年)には「住専」に公的資金6,850億円を投入する予算が成立。
国会はこれを巡り揉めに揉めるわけですが、今から思えば公的資金投入は正解だったわけです。
金額も今回の世界経済危機への投入分と比べると随分小さく、今なら何の問題もなくあっさり通るはずです。
私も「公的資金投入」が正しいのかどうかは、当時はよく分からなかったのですが、当時国会で「人のバリケード」まで作って猛反対していた国会議員の人たちが、このことを反省しているのかどうか知りたいところです。
「何が真実か」や「何が正しいのか」は、後になってみないと分からないことも多いのだということを学んだ次第です。

ペルー日本大使館公邸人質事件が、特殊部隊突入により解決したのが1997年の4月。
この時私は結核で長期入院中。
病院のテレビで、このニュースを見たので鮮明に覚えています。
同8月にダイアナさんが亡くなっています。
「中国香港」がスタートしたのが1997年7月1日。
共産中国を嫌って、香港を離れた香港人も多く、カナダのバンクーバーなどは「ホンクーバー」と呼ばれました。
抜群に美味しい中華料理を食べるなら、バンクーバーに行くに限ります。

1997年は三洋証券や山一証券北海道拓殖銀行などが倒産。
バブル崩壊後、何とか持ちこたえてきたのが、ここにきて一挙に破たんに追い込まれた感があります。
日本の金融機関も大変だったのですが、アジア通貨危機も発生。
アジア各国の急激な通貨下落現象です。
特にタイ、インドネシア、韓国は経済自体が重体に陥りました。