負ける戦争はするものではない

ほとんど渡部昇一先生からの受け売りなのですが、国際法に照らし合わせた「戦争」というものについて書いてみたいと思います。
国際法は国家間の紛争の解決手段としての戦争を認めているのだそうです。
この国際法の元になっているのは1648年に提携された「ウェストファリア条約」。

ウェストファリア条約とは、ヨーロッパにおいてカトリックプロテスタントの間で30年にもわたって行われた戦争を終結させた条約のことです。
この30年戦争では、例えばドイツの人口は3分に1に減少しました。
30年の間に7割もの人が亡くなるなどというのは尋常な世の中ではなく、実に恐ろしい時代だったのだと思います。

経済的な紛争から戦争が起こったのなら、妥協ということもあるのでしょうが、宗教的な要因からだと、相手はとにかく「悪魔」であって、悪魔や魔女相手には何をしてもいいということになるのかもしれません。
とにかく30年間の宗教戦争は残忍で不毛な戦いであったはずです。

ウェストファリア条約の基本は「どちらが良くてどちらが悪かったか」という戦争の原因は問わないというものです。
それを言い出すと、どちらにも言い分があり、際限がなくなるからです。
これが国際法の基本的スタンス。

東京裁判戦勝国が敗戦国を裁いたわけですが、これは国際法上成り立ちません。
そこで「人道に対する罪」などという事後法を持ち出して、国ではなく被告個人を裁くとして裁判の格好をつけました。
だから平和条約であるサンフランシスコ講和条約は日本の戦争責任などは盛り込んでいないのだそうです。

国際法では戦争の原因は問わないけれど、戦争でやってはいけないことは規定されています。
これに反すれば「戦争犯罪」であるわけです。
禁止されている取りきめの一つに、非戦闘員の殺傷があります。
太平洋戦争の末期にもなると、アメリカの爆撃機による空襲や原爆投下により多くの非戦闘員が殺傷されました。
これらの作戦の中には非戦闘員を狙ったとしか思えないものが多数あります。

戦争を終結させるために原爆を落とさざるを得なかったとの弁解もありますが、ではなぜ広島の後、わずか3日のちに長崎にも原爆が投下されたのかの説明は難しいのではないかと思います。
しかも広島とは別の種類の原爆であり、極めて人体実験に近いものがあるのではないでしょうか。
しかし勝者は決して裁かれないのです。

太平洋戦争においては、東京裁判的史観で「すべて日本が悪かった」という考え方もあるし、「もし日本が欧米に対して立ち上がらなければ、いまだにアジア諸国はヨーロッパの植民地のままであった」という考え方もあります。
しかしながら、もし日本に悪い点が“ただ一点”あるとしたら、それは「戦争に負けたこと」だと思うのです。
会社だって倒産したら社長がすべての責任を負わなければなりません。
ましてや国を敗戦に導いたのであれば、指導者はその責任を負うのは当然かもしれません。

要は「負ける戦争はするものではない」ということなのです。
国家でも会社でも負ける戦いはやってはいけないのです。
負ける戦いは避けるべきで、もしそれがいやなら勝てるところまで実力を蓄積していくべきなのです。
「負ける戦争はするものではない」こそ、太平洋戦争の最大の教訓だと思うのです。