歴史の「もし」

日本が日露戦争に勝利したあと、アメリカ人鉄道王のハリマンが、満州鉄道を日本と共同経営しようと提案しました。

 

戦費で予算をスッカリ使い果たしていた日本にとっては悪くない提案で、実際のところ「ほとんどO.K.」の返事を出していました。

 

ところが小村寿太郎がハリマンと入れ違いで日本に帰って来て「日本の多くの青年たちの血で勝ち取った地に、他国の資本を入れるわけにはいかない」と断固として反対しました。

 

結局、小村寿太郎の意見が通り、アメリカにキャンセルの電報が打たれました。

 

船で帰ったハリスがアメリカに到着する前に電報が届いており、サンフランシスコに着くなりそれを見たハリスは激怒しました。

 

「日本は中国市場からアメリカを排除するつもりだ」という主張を議会に吹き込み、以降、アメリカ議会は反日に舵を切り始めました。

 

1924年に「排日移民法」が制定されると、日本の世論も大きく反米に傾いていきました。

 

日本の世論はペリーの黒船来航以来、実はずっと親米だったのです。

 

それが排日移民法以降は急激に反米となり、もう元に戻ることは不可能でした。

 

完全に「もし」の話ですが、日米で満州鉄道を共同経営し、うまく運営できていれば、その後の太平洋戦争はなかったのではないかと思うのです。

 

イギリスとだって、そんなに重大な利害の対立があったわけでもなく、そうすると「鬼畜米英」もなかったわけです。

 

アメリカと日本が満州にいれば、ソ連だって勝手な真似はできず、もっと言えば、日本政府の意向を無視し、戦線拡大をしたがる日本陸軍の一部の「跳ねっ返り」勢力も制御できたかもしれません。