静かな喜びの中で淡々と努力

「時間食い」なことを出来るだけカットしようとしています。
「時間食い」を勝手にtime eaterと造語して、先日ネイティブに言ってみました。
結果、全く意味通じず。
「time eater ? 何のこっちゃ?」という反応。
いろいろ説明したら「なんだwaste of timeのことか」と納得。
時間の浪費は当然排除されるべきですが、私が言いたいのは「時間の浪費という自覚なく使ってしまっている時間のこと」。
会社の仕事で「やらなくてもいいこと」を一生懸命やっているケースなどその典型です。

「ある行動をしたら、心が追い付くまで一瞬待ってみる」感覚を先日体得しました。
これは今でも有効で、一瞬待つことで、その行為が完結する感じがするのです。
それが“ていねい”な生き方にも繋がっていくように思うのです。
ミスも防げるし、結局は時間的にもプラス。
ワープロだって、いくら早く打ってもミスすればそれだけ遅くなります。
ゆっくりと確実にやっていくのが、どうやらこの世の成功の要諦のような気がします。

先日カノンの足が急に立たなくなり、痙攣まで起こした時は、家族一同心が暗闇に包まれました(何せ心情的にはわが子と一緒)。
それがわずか1日で回復に向かい、こんなうれしいことがあるものかと思いました。
阪神大震災でも経験したのですが「当たり前のことが当たり前にあること・できること」がどんなに幸せなのかは、それを失ってみて初めて分かるのです。
今までどおりにカノンと散歩できるだけで、足の裏から幸せが体に湧き上がってくるような感覚を味わっています。

平凡な時間がどれだけありがたいことか。
その平凡な時間の中に、幸せがギッシリと詰まっているのですね。
それを忘れて不満や不平を言ってはいかんのであります。
一瞬一瞬の平凡な時間の中に幸せがいっぱい詰まっていることに気がついたからには、静かな喜びを持って、まわりの現象に右往左往することなく「やるべきことを淡々とやっていこう」といま改めて思っているところです。