平凡の中の幸せ

結婚40周年を迎えました。

 

ふつうに結婚でき、ふつうに子や孫がいるというだけでも、ものすごく幸せなことだと思っています。

 

仕事がうまくいっても、家庭がうまくいかない人もいるし、その両方がうまくいっても健康に問題がある人もいます。

 

「ふつうに幸せ」なのは奇跡のようなもので、自分の努力だけで得られるようなものではありません。

 

60歳にして神道に目覚め「ビフォー・アフター」的に言うならば「神道以前」の自分と「神道後」の自分とは明らかに違っています。

 

神さまから与えられた幸せから見れば、自分の努力で獲得したものなど、実に取るに足らないものにすぎません。

 

だからそんなものを自慢していても仕方がないのです。

 

平凡な毎日の中に幸せがギュッと詰まっていることに気づくと、それらの時間がいとおしく、決してムダにしたくない気持ちになります。

 

それらの時間を愚痴や悪口や悪意で汚してしまうのは、あまりにもモッタイないと思うのです。

 

一瞬悪意が心に浮かんでも、それを「口に出さない」というのは、しあわせ人生の一つのコツのようなものです。

 

良いことでも、悪いことででも、口に出した途端にそれが具現化していくのです。

 

「1冊でも多くの本を読み、静かに朽ちていく」というのは、私にとっては“なかなか”いい「悟り」でありました。

 

それ以外のことは余計なことであり、まあどちらでもいいことであります。

 

そんな「どちらでもいいこと」に心煩わすこともないわけです。

 

「生きてるだけで丸儲け」ではありますが、あの世が本当の世界で、この世は仮の姿だということを知っているので、生死の問題だって、実はそう大したことではないと思っています。