ふつうに生きて、ふつうに死ねること

良寛さんの書は当時から人気があったようです。

あるお金持ちが良寛さんに書を所望すると、良寛さんが書いたのは「親死に、子死に、孫死に」という言葉。

「縁起でもない」とそのお金持ちは怒ったのですが、良寛さんいわく「人が死ぬのは当たり前のこと。ならば親、子、孫と順番に死んでくほど有難いことはない。これが逆なら大変なことだ」。

確かに、普通に生き、普通に死んでいけること自体がラッキーの極みなのかもしれません。

逆に言えば、それ以上の望みは余計と言えば余計で、そういったことに囚われ過ぎないというのが、ある意味、悟りの世界でもあります。

余計な望みが一つでも叶(かな)うならば「御の字」で、それがうまくいかないからと言って不平不満を漏らしたり、自分を卑下したりのは論外です。

私もよく大ぼらを吹くのですが、その過程を存分に楽しもうとしているため、目標にまだ達していない状態でも幸せ感いっぱいです。

私は神道に帰依していますが、神さまの目から見れば取るに足らないことで、たいていの人は悩んだり苦しんだりしていると思うのです。

自分の力ではどうにもできないことは神さまにお任せすればいいわけで、また自分ができることは、さっさとやっていけばいいだけの話なのです。

神道はまことに大らかな宗教で「生きるべき道」の教えが祝詞(のりと)の中にほんのちょっぴり出てくるだけです。

「素直で正しい真心を持って、誠(まこと)の道を外すことなく、仕事に励み、家名を上げ、健康で、世のため人のために尽くそう」というのがすべて。

たったこれだけなのです。

祝詞(のりと)は暗記しているのですが、何かの折にヒョイと言葉が浮かび、間違った方向に行かないようにしてくれています。