大和言葉(やまとことば)

お経は何が書いてあるのか、聞いていてもさっぱり分かりません。
唱えるほう(プロの坊さん)はともかく、聞いているほうがそれで悟ったり、魂が成長したりするかどうかは極めて疑問です。
しかしながら般若心経などは、意味は解らなくても“とても”リズムがいいので、声を出して読んでいると、それだけで楽しくなってしまいます。

お経を聞いて感動した経験があります。
尊敬できる日本のお坊さんだったのですが、やはり立派な方が唱えるお経は、聞いている者の心を打つことがあるのだということを学びました。
スリランカの一番偉いお坊さん(佛歯寺の管長)のお経も間近で聞いたことがあるのですが、何かラッキーなことが起こりそうな感じがし、うれしかったのであります(そしてそのあと本当にいいことが起こりました)。

キリスト教のお祈りは、具体的な言葉で感謝の気持ちや願いを述べるので、聞いているほうが分からないということはありません。
お祈りの言葉を聞いている間に、ハッと気づかされることや、自分がしなければならないことが分かったりします。
言霊(ことだま)が上手く活用されているように思います。

神道(しんとう)の祝詞(のりと)は、少なくとも2千年前から唱えられていると思うのですが、いま聞いてもハッキリと意味が分かります。
すべて大和言葉(やまとことば)だけで語られているのも面白いと思うし、感心もします。
漢字には訓読みと音読みとがありますが「やまとことば」とは、ひと言で言うと「訓」で読むほうの言葉です。

ついでに言うと、祝詞だけでなく万葉集に出てくる和歌もすべて大和言葉だけで成り立っています。
例外は「衛士(えし)」と「菊」(不思議ですが外来語で大和言葉ではないとのことです)の2つだけだと読んだことがあります。
大和言葉はそのまま何の抵抗もなく日本人の心の中に入っていくのだと思います。

実は英語にも「やまとことば」というのがあるのです。
例えば「延期する」を意味する言葉には、「put off」と 「postpone」の2つがあるのですが、前者がイギリス人にとっての「やまとことば」で、後者が外来語となります。
ノン・ネイティブの英語学習者にとっては、実は外来語の方が分かりやすいということを、体験上感じています。