神社への参拝

ひょんなことから宮城県塩釜市にある「鹽竈(しおがま)神社」に行ってきました。
行って本当によかったと思うし、また機会があれば行きたいとも思っています。
数年前から何かグイグイと神道(しんとう)に引っ張られている気がし、それが今年の伊勢神宮出雲大社式年遷宮で、決定的にハマったという感じです。

伊勢神宮出雲大社式年遷宮が重なる年は、今回を入れて歴史上3回しかなかったそうで、今年はまことに貴重な年でもあります。
伊勢神宮は20年に一度「式年遷宮」が行われるので、私が40歳の時や20歳の時にも行われたはずなのですが、まったく関心もなく、記憶にもありません。
キリスト教の学校へ行ったり、仏教を独学したりしていたのですが、ここ数年「自分の魂は神道系だ」とハッキリ自覚するようになりました。

神社へ行っても、キリスト教会の礼拝のように、言葉で教えを受けるわけでも何でもありません。
従って、その神社が発する波動をシッカリと受け止め、体で感じることが大事になります。
土地には「イヤシロチ」と「ケガレチ」がありますが、神社がある場所は、すべて間違いなくすべてイヤシロチ。
自然が持つエネルギーを存分に発揮する場所と言い換えてもいいかもしれません。

キリスト教などではサンピエトロ大聖堂のように、聖職者が処刑された場所に教会がたてられたりしています。
が、神道は穢(けが)れを嫌うので、神社に限ってはそういうことは一切ないと思います。
ただし北野天満宮のように、菅原道真の怨霊を鎮(しず)めるために作られたりしたところはあります。

人には“それぞれ”に与えられた役割があり、ともすればそこから外れかけていることがあるのですが、神社に行くと自然にその歪みが正されると読んだことがあります。
確かに、凛とした雰囲気に包まれた神社に行くと、背筋がシャンとして、心が浄化された感じがします。
良い氣を発する神社にお参りに行ったあとは、何か気持ちがホコホコしてくるのも事実です。

私は神社では個人の願いは、ほとんどお祈りしません。
伊勢神宮のような格の高い神宮では、神殿の前に立つと、小さな自分の願いなど消し飛んでしまい、お願いするとしたら「国家安泰」ぐらいになります。
しかし神社参拝のあとは、やっぱり気持ちが晴れるのです。