神道の実践は「機嫌よく」から

インドの民族宗教がヒンドゥ教なら、日本の民族宗教神道です。
キリスト教や仏教は世界宗教と呼ばれていますが、ヒンドゥ教や神道は地域が偏っており、世界宗教とは言い難いところがあります。
日本神道アニミズムから来ていると言われますが、自然すべてに神々が宿っているという感覚は私にもあり、従って自然との調和は非常に大切なことだと納得できます。
これが欧米だと「自然の征服」という価値観となるのでしょう。

仏教にも「山川草木悉有仏性」という言葉がありますが、これは神道的な感覚に近いと思います。
キリスト教には聖書があり、仏教にも経典があるのですが、不思議なことに神道にはそういったものがありません。
教典もなしに、2千年以上も連綿と宗教が続いてきたことも、考えてみれば驚異です。

キリスト教はイエス様が始めた宗教であることはハッキリしており、その歴史は2千年少々。
仏教はお釈迦様が創設し、その歴史は2,500年ほど。
たぶん神道も同じぐらいの歴史があると思うのですが、創始者はよく分かりません。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や天照大神(あまてらすおおみかみ)が、日本神道の中心神ですが、これらの神々も日本の国造りの頃に、日本に生まれてこられたのではないかと思います。
天照大神の6代目の子孫が、初代天皇神武天皇です。
もし今ギリシャに王様や女王様がおられて、その人たちがギリシャ神話に出てくる神々(例えばゼウスやアポロン)の子孫だとしたらスゴイことだと思うのですが、日本の天皇家は実際に神話の時代から歴史を引き継いでいるわけです。
まさに世界遺産です。

神道には教典や教えはないのですが、祝詞(のりと)はあります。
2千年以上前の言葉がそのまま使われていて、漢語や外来語は一切なく、すべて大和言葉のみで綴られています。
神様への儀礼は「二礼、二拍手、一礼」のみ。
シンプルと言えば、まことにシンプルなのです。

すがすがしい凛とした雰囲気こそ神道の真骨頂です。
また神道の実践は、突き詰めれば「機嫌よく」ではないかと、最近感ずるようになりました。
神様に守られ、いつも光を与えていただいているのだから、自分はせめて機嫌よくしていこうというのは、神道に身を置くものとして常に心がけておくべきことだと思うのです。