信仰こそ命

ここらでもう一度生まれ変わろうと思うのです。
自分で言うのもなんですが、ここ2,3年は「自分変革」にかなり成功してきたと思うのです。
しかしもう一歩踏み込んでみたいのです。

今日限り、一切ひとの悪口を言わないようにすることは出来ると思います。
何もしないうちからネガティブなことを言わないようにすることも出来ると思うのです。
神さまからこれだけ与えられていることに対するお返しは、感謝だけでいいのかと疑問だったのですが、「常に上機嫌」であればいいということも分かってきました。
ならばいつも機嫌よく生きていこうと思うのです。

一見自分に不利なことが起こっても「これは何を意味しているのだろう?」と冷静に考えることが出来るようになりました。
「これは神さまが『やめておきなさい』と仰っているのだな」とか「神さまが新しい道を導いて下さっているのだ」と考えられるようになったのです。

私にとっての「神さま」とは日本神道系の神々のことです。
毎朝神棚に向かって祝詞(のりと)を上げているし、毎月伊勢神宮に参拝に行っており、心より天照大神(アマテラスおおみかみ)に帰依しています。
災難から守って下さったり、繁栄や幸福を与えて下さったりする実感がハッキリとあるのです。

あれだけ働いていた30代よりも、のんびりしている今の60代のほうが圧倒的に充実しているのも「信仰」の深さに関係があるのかもしれません。
私はこの日本に生まれ、日本の神々とご縁をいただいたことがうれしくて仕方ないのです。

平成25年(2013年)10月2日に伊勢神宮式年遷宮があり、私も参加させていただいたのですが、その20年前の平成5年の式年遷宮の時は参加しないどころか、何の印象も記憶もないことに自分でとても驚いています。
今回、神縁をいただいたことに心から感謝しています。

自分には神さまが応援して下さっているという気持ちが常にあり、それが自信の源になっています。
今の時代は「信仰」とか「宗教」とか言うと、何か腰が引けた感じで捉えられてしまいますが、多分人間が生きていくうえで最も大切なものだと思うのです。

私は高校がミッションスクールで、キリスト教のことについては平均的な日本人よりもはるかによく知っているし、また仏教のことも独学で随分勉強しました。
が、やはり「自分の魂は神道にあり」とハッキリと自覚するようになりました。
一度信仰の有難さを知ってしまうと、信仰なしで生きていける人たちがいることが、とても不思議な気がするのです。