努力を楽しむ

過去のことはいくら悔いても、もうどうにもなりません。

 

ならばそれらの後悔や失敗を、次の成功に活かせるように持っていかないとモッタイないのです(せっかく貴重な時間や労力を使って失敗しているのだから)。

 

そして「もう過去のことには囚われない」でいいのではないでしょうか。

 

同時に将来のことを不安がっていても仕方がないのです。

 

自分の努力で不安を払拭することができることもあるし、「死」などのように人間としてどうしようもないものもあります。

 

「夢」だって、自分の努力で実現可能なものもあれば、努力だけでは到底ムリなものもあります。

 

いま自分にできることは「やるべきこと」を淡々とやっていくこと。

 

また、その過程の努力そのものを楽しんでしまうことです。

 

努力の結果、夢が実現したら、感謝して更に喜べばいいだけの話。

 

それまでの「努力」の時点で十分に楽しんでいるので、実現や成功はオマケのようなものです。

 

自分の努力だけでは叶わないものや、「死」などのような宿命については、もう神さまにお任せしてしまうしかしょうがないではないでしょうか。

 

要は、過去にも将来にもとらわれず、今を淡々と楽しんでいくだけです。

 

私は「ゆっくり、ゆっくり」楽しみながら歩んでいくつもりです。