私はかなり掃除に時間をかけているほうだと思います。
38歳の時に鍵山秀三郎先生と出会い、本格的に掃除に取り組み出しました。
早朝から会社に出て、2時間みっちりと会社とその周辺を掃除し、それを20年間続けました。
今は会社の掃除はスタッフに任せており、自宅とコインパーキングの掃除のみを行っています。
コインパーキングの清掃は「仕事の一環」という意識があるのでいいのですが、自宅の掃除の場合は「こんなに時間をかけていていいのだろうか?」と迷うことがありました。
それに対する答えは「掃除は神事である」というのと、「軽作業で体のメンテナンス(運動)をする」というものです。
日の出が早くなり、朝5時台でも明るくなると、外での掃除が楽しくなります。
朝5時台に外にいるだけで幸せいっぱいになり「この喜びを知らずして人生を終えることなかれ」という気持ちになります。
おまけに落ち葉などを掃いていると心が整ってくるのです。
いろんな宗教で掃除を重視している意味が、心底理解できます。
都会のサラリーマンなど、あまり掃除をする機会がないかもしれず、そういう意味ではまことに不幸です。
ただ掃除もあまりに「やるべき量」が多いと、途端にイヤになり、崇高な掃除が単なる義務になってしまいます。
自分ができる範囲というのは自ずと決まっており、数や量を追い求めるだけが能ではないのです。
仕事でも自分に合った「適正規模」というのがあり、これを超えてしまうと様々な面で破綻をきたします。
やっぱり「腹八分目」こそ幸福人生なのかもしれません。