人生のストーリーは既に決まっている

もし人生のストーリーがすべて既に決まっているとしたら、将来のことに何をあくせくと悩む必要があるのでしょうか?
その決められたストーリーを存分に楽しむことだけを考えればいいのです。
私自身の体験でも、とても困ったことが起きても、その困難は半年も続きません。
いつの間にか解決していたというのがほとんど。
そして何を悩んでいたのかすら、忘れ去ってしまうことが少なくありません。

仏教にはややペシミスティック(悲観的)な人生観があるように思います。
その点日本神道は、与えられた“あるがまま”の自分を喜ぶところから出発しているように思います。
その身そのままで光っているという考え方。
与えられたものを素直に喜び感謝する。
見栄や虚栄や傲慢さなどの余計なものを身に付けず、ただ単純に感謝して生きる精神的にもシンプルライフ

今後どうなっていくのかのストーリーの部分は神様にお任せし、でも夢いっぱいで「いま・ここ」に活力の息吹を吹き込んでいけばいいではありませんか。
夢は実現するのですが、実は実現すること自体が、ストーリーの中ではもう既に決まっていたことなのかもしれません。
努力を重ねるから夢が実現するのではなく、ひょっとしたら真理はその逆。
夢はもう実現することが決まっているのだから、淡々とした努力を継続させる。
有難いと思う気持ちで、自分のまわりをも輝かせてしまう。
「思うようにならない」ように見えることがあっても、天から見れば案外「思うようになっている」のかもしれません。

客観的に見れば艱難辛苦のはずなのに、それにも気が付かず、感謝の中で楽しみながら淡々とやるべきことをやり続けている。
偉大な鈍感力でもあります。
もう一度言います。
人生のストーリーはもう既に決まっている。
しかもそれは結構いいストーリー。
だから取り越し苦労は時間のムダ。
喜んで、有難がって、しかも努力を惜しまない。
そんな人を天が放っておくわけがないではないですか。