痛快、新しい世界へ。

フランス語、英語、ドイツ語のそれぞれのネット新聞を手書きで写していく学習法をやりだしてから、ちょっと大げさですが人生が変わりました(「画期的語学学習法」と呼んでいます)。

 

やや漠然としていた語学の目標が「各国語の新聞が読めるようになる」と定まったのも、自分では驚きでした。

 

一見、遠回りのように見える「手書き」ですが、書いているうちに各言語のリズムのようなものがわかってくるようになり、またスペルも(頭でなく)手が覚えてしまいます。

 

よほどの才能や緊急性(例えば「来月からアメリカに駐在する」など)がないと、語学習得には時間がかかります。

 

私など英語は50年以上、ドイツ語は20年以上勉強しているのに「まだまだ」の感があります。

 

ところが新しく始めた「画期的語学学習法」だと、数か月で新聞が読めるようになるという手ごたえがあります。

 

新聞が読めれば雑誌も読め、本も読めるようになるはずです。

 

特に英語の本が読めるようになると、一気に世界が広がります。

 

言葉という船を手に入れることにより、未知の世界へ航海に出ることができるのです。

 

今までそれは遠い先の話でありました。

 

が、この「画期的語学学習法」を使うと、奇跡のように目標が近づいてくるのです。

 

まるで(人を天才にするという)空海の虚空蔵求聞持法ではないですか。

 

人生の後半にこんな面白い展開が待っているとは夢にも思いませんでした。

 

近い将来、毎月の読書の3分の1ぐらいは英語の本にしたいものです。

 

月に60冊~70冊の本を読んでいるネイティブは極めて稀(まれ)だと思うのです。

 

語学においてネイティブさえ凌駕(りょうが)してしまうのは痛快の極みです。