コロナ騒動に学んだこと

私が信頼する、ある医師がコロナについて書いていました。

「新型コロナウィルスで学んだことは、たとえ弱毒の、インフルエンザ以下の毒素を持ったウィルスであっても、マスメディアの騒ぎ方によってはパンデミックになってしまうということ」。

「日本のメディア特有のことかと思っていたら、今回は不思議なことに、世界中のメディアが騒いだ」。

「マスコミで利用されている『専門家たち』は「新型コロナウィルス」の専門家ではなく、ウィルスの恐怖を語るためのプロパガンダに利用されている人たちで、中には医師でもない人もいる」。

「彼らは人生で初めて浴びるスポットライトに酔っているように見える」。

「知事たちも同様で、メディアに取り上げられる絶好の機会を与えられ、マスクの下で鼻がピクピクしているようだ」。

「このまま知事のスタンドプレーに、いつまでも付き合わされて、経済が瀕死の状態になる方が怖い」。

「今回のウィルス騒ぎは、病原性云々のものではなくて、完全に人災」。

テレビをほとんど見ない私と、テレビの煽(あお)りに影響を受ける人たちとの、コロナに対する感じ方の亀裂が、日々大きくなっています。

強要された「自粛」で、お店や会社がどんどん苦境に陥っていくのを憂いています。

一方、今回さまざまなことを学ぶことができました。

「まさか」はいつ来るか分からず、会社の財務状態や自分のカラダをいつも健全にしておくべきだということ。

借入れが大きかったり、持病があったりしていては「まさか」が来ると持たないのです。

固定費が小さい会社や、シンプル経営や、シンプルライフは「まさか」に強いということ。

人々が生存に必要な会社は「自粛」対象にならないということ。

キャッシュをたっぷりと持っている会社は「まさか」に耐性があるだけでなく、例えば安くなった不動産を購入するなどのチャンスがあるということ。

「アフター・コロナ」ではなく「ウィズ・コロナ」で物事を考えておくこと、等々であります。