勤勉だと幸せになる

自分の人生を振り返ってみて「勤勉」だった時は幸福で、「なまくら」だった時は不幸だったと、これは実にハッキリしているのです。
今は幸せかと問われれば、圧倒的に幸せなのです。
なぜなら勤勉だからです。

とは言え「会社滞在時間」は短いのです。
午前中に“さっと”デスクワークを片付けてしまい、用事が終われば“さっさと”帰ります。
あとは優秀なスタッフにすべてお任せ。

一番忙しかった30代のころと比べれば、今はムダな動きが極めて少なくなっているのです。
ムダが少ないと、仕事に余裕が出てきます。
例えば「移動時間」というのは仕事ではありません。
移動しているだけで仕事をした気になってしまいますが、移動時間は全く利益に貢献していないのです。

コンビニでもドミナント戦略と言って、狭いエリアに集中して出店するやり方を取ります。
その方がブランドが早く定着するし、商品の運搬などでも効率的です。
不動産業でも地域密着型だとエネルギーを狭域エリアに絞って投入できるので、その地域のナンバーワンになりやすいわけです。

さて、私の主なる業務はコインパーキング。
コインパーキング事業は、買い手を追っていく売買仲介などと比べると、実にムダが少ないのです。
一度コインパーキングを設置すると、機械が勝手に稼いでくれます。
コインパーキングは一種のロボットでもあります。
人に代わってロボットが働いてくれるので「労働集約型」と対極をなします。

話を元に戻します。
勤勉という意味では、今までの私の人生の中では、たぶん今が一番ではないかと思います。
ただしその「勤勉」が仕事だけでなく、読書や語学にも振り向けられているというのが今の特徴です。

伊能忠敬だって30代、40代に家業に打ち込んで成功させたからこそ、晩年天文学や測量術に「うつつ」を抜かせたわけです。
やはり晩年に自由になるお金を持っていないと、やりたいことも出来ず、ちょっと寂しい老後になります。

創業した会社を一代で一部上場企業にまで持って行くような人は一種の天才だと思います。
そういう天才と自分とを比較するものだから、変な力が入ったり、あるいは自己卑下したりしなければならないわけです。
凡人は凡人のやり方があり、それが「不労所得の形成」だと思っています。