中国の歴史

中国の歴史には様々な人物が登場し、何となくその「人となり」や断片的なエピソードを知っているのですが、一体どの時代でどんな背景にあるのかがよく分からないことが多いように思います。
少し中国の歴史の流れを見てみたいと思います。

古代中国で理想的な国として「堯」・「舜」・「禹」(ぎょう・しゅん・う)というのがあります。
それぞれの皇帝は世襲ではなく禅譲で引き継がれ、それぞれに立派な政治を行ったようです。
「禹(う)」の次が「夏(か)」。
その次の「殷(いん)」の最後の王が「酒池肉林」の言葉の元となったモデルで、案の定、周に滅ぼされました。

その後に春秋時代というのが続き、この時代に孔子が活動したのですね。
孔子はキリストや釈迦と並ぶ精神的巨人ですが、この世的には小国の大臣を拝命された程度の出世しかしていません。
春秋時代から戦国時代に突入するのですが「矛盾」という言葉はこの時に生まれたようです。

中国の最初の統一国家といわれるのは「秦」(しん)で「秦の始皇帝」や「焚書坑儒」や「徐福」という言葉はよく耳にします。
この「秦」は「陳勝・呉公の乱」を契機に滅びるのですが、項羽劉邦もこの時の反乱軍のリーダーです。
項羽はエリートで、劉邦にほとんどの闘いで勝っていたのですが、最後の一敗で命を絶ち、結局劉邦が「漢」を築きました。

「漢」は張角がリーダーの「紅巾の乱」によって滅びます。
漢が滅ぶと三国志で有名な「三国時代」。
英雄たちが次々と登場し、物語的には最高に面白い時代です。
私はたまたま中国奥地の成都に行ったことがあるのですが、成都はかつては蜀の国だったことを現地に行ってから知りました。

次に「隋」が中国を統一しました。
日本では聖徳太子が活躍し、隋の皇帝煬帝(ようだい)に国書を送ったわけです。
「隋」は高句麗遠征に3度失敗し、結局滅びます。
「隋」の次は「唐」。
「唐」はインターナショナルな国で、世界各地から人が集まっていました。
日本からは遣唐使が派遣されています。

「唐」のあとは「五代」を挟んで、「宋」・「金・南宋」・「元」・「明」・「清」と続いていきます。
統一国家が続くので、かなり覚えやすいのです。

「宋」の時代は文化的に繁栄していたようで、故宮博物院でも「宋」の時代の焼き物は見事です。
ところが軍事的にはイマイチだったようで、「金」という軍事大国にお金を払って戦争になることを食い止めていたようです。

そうしてやって来たのが「元」。
大帝国を築きます。
やがて内紛などもあり、紅巾の乱によって元軍は中国を捨てモンゴルに撤退します。
滅んだのではなく、撤退しただけなのです。
国自体は「北元」として継続されます。

ようやく漢民族の「明」の時代に。
明は「北虜南倭(ほくりょなんわ)の圧力によって国力を弱めます。
そしてまた北の方からやってきたのがヌルハチ率いる女真族
「清」の誕生です。
あとは「中華民国」や「中華人民共和国」の近代史へと移行していくわけです。