「1分もムダにしないぞ」オーラ

ある人に言わせると、私は「1分もムダにしないぞ」オーラを発揮しているのだそうです。
確かに今は時間が極めて大切で、時間を有効に使えなかった時は気分が良くありません。
仕事や勉強だけでなく、遊びであっても、自分が納得できる時間の使い方をしたときは極めて愉快です。
例えば気の合う仲間と美味しい食事をしたり、海外旅行で外国の街を歩き回ったりするのは、人生最高の喜びの一つだという気がします。

「あと残りの人生で、何回食事がとれるかどうかわからない。だから美味しくない食事を取ってしまったら、とても後悔する」との老齢のお金持ちの話を読んだことがあります。
食事でなくても、自分が満足できない時間を過ごしてしまうと、還暦以降はとても残念な気持ちが強くなります。
10代や20代の頃なら、時間は無制限にありますが、60代以降は時間に限りがあるのです。

大事な時間なのだから、心に悪意などを持って、不愉快な気持ちでいる時間が勿体(もったい)ないのです。
いつ死んでもいいように、心はいつもピカピカにしておきたいものです。
私は「95歳までバリバリの現役」宣言をしていますが、そうでも言っていないと「やり残したことがいっぱいあり過ぎ」なのです。

コンサートや映画や野球観戦は、今の私にとっては分不相応でタブーなのです。
テレビもタブー宣言をする前に、自然にあまり見なくなりました。
テレビを家庭からなくすと、生活が上質になると聞きましたが、全くその通りです。

火曜・水曜は会社の定休日なのですが、自宅で知的作業に没頭しています。
あまりに没頭しすぎて、木曜の朝、いつも通りの時間に起きられないことがあるぐらいです。
火曜・水曜に読んだ本を、木曜日に会社の書棚に持って行きます(社員も読めるように)。
火曜・水曜に読書だけをしているわけではないのですが、ドサッと本を持っていける木曜日は、その重さに比例して満足感と充実感があります。

「読書」・「語学」・「コインパーキング」と、やるべきことを3つに絞ったのですが、これらが概ね今の私の「人生の本筋」。
つまりこれらの3つに費やしている時間は、後悔がないということです。
「月に100冊読書」を続けていると、このところ段々と未体験ゾーンに突入してきたような気がします。
色んなことが分かりかけてきたのです。
その「色んなこと」の中には、この世とあの世を貫く真理のようなものも含まれます。

語学は専(もっぱ)らウェブレッスン頼りなのですが、こちらの方も最近明らかに実力がついてきたような感じがしています。
「継続は力なり」なのです。
コインパーキングの台数もポツリポツリと増えてきました。
どれもこれも楽しいのです。
やっぱり1分もムダにするわけにはいかないのです。