3つの突出したもの 読書編

自分にとって「突出したもの」は何かを考えたら3つありました。
「掃除」と「読書」と「海外旅行」です。
これに近々「語学」を加えたいと思っています。
還暦を迎えて突出したものが一つもなかったらとても寂しいし「一体今まで自分は何をしてきたのだろう」と、ちょっと落ち込むかもしれないところだったのですが、正直なところ3つも発見でき、内心とてもうれしく思っています。

きのうは掃除について書いたので、今日は読書について書きます。
武士にとって刀は命。
だから刀にはいくら贅沢してもいいし、いくら自慢してもいいのです。
知的生活者にとっての本は、武士の刀と同じ。
従って大いに贅沢し、また自慢しようと思っています。

本は誰でも読もうと思えば読めるのに、読まないのは実に”もったいない”気がするのです。
また本をたくさん読んでいる人は案外少ないのです。
私の周辺を見回しても、月に20冊読んでいる人はまずいません。
いつの日か読書家を見つけ、思う存分「本」の話をしてみたいと思っています。

本格的な読書家になるためには、いくつかの条件が揃(そろ)わなければなりません。
まずは読書の時間が取れること。
もちろん読書のための集中力も必要です。
図書館などを利用する場合は別ですが、読みたい本を躊躇なく買うことが出来る経済力も外すことはできません。
私は毎月本代に10万円以上使っています。

見落としがちな条件は、読んだ本を置いていく場所。
知的生活に書斎と書庫は必須のアイテムです。
渡部昇一先生は「本」中心の生活を送ってこられ、本の居場所の確保は最優先事項のはずなのですが、それでも本が家中に溢(あふ)れ返りだし、80歳近くになって家を新築されたぐらいです(結果、蔵書15万冊の見事な地下図書館が出来ています)。

案外見落としがちな読書家の条件は、本を持ち運びする筋力があること。
私の場合、新幹線を利用する1泊2日の出張だと8冊ぐらいの本を持って行き、4泊6日の海外旅行だと20冊は持って行きます。
従って筋力がないと本格的な読書家にはなりにくいのです。

いま月に100冊の読書を続けているわけですが、工夫次第ではもう少し冊数を増やせるような気がしています。
また今は大部分が日本語の本なのですが、近い将来、英語やドイツ語の本も読んでいきたいと思っています。
これらの本が日本語のように自由に読めるようになった時が、自分の「突出したもの」の中に「語学」を付け加えられる時だと思っています。