我が街の古代史

私の自宅から山に向かって2時間ほど歩いたところに「中山寺奥の院」があります。

 

昔、ワンちゃんとそこまで散歩したとき「ここに応神天皇武内宿禰(たけのうちのすくね)が足を踏み入れた」といった内容の看板が掲げてありました。

 

1,600年もの時間を超えて、自分が同じ場所に立っていることに感動しました。

 

同時に日本古代史への興味が猛烈に湧いてきたのを覚えています。

 

全国にある神社の中では八幡神社系が一番数が多いのですが、それはすべて応神天皇を祀っています。

 

もうそれだけでも応神天皇という方が只者(ただもの)ではないという感じがします。

 

八幡系神社の総本宮大分県宇佐市にある宇佐神宮です。

 

武内宿祢というのもスゴイ方で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5人の天皇に仕え、ついでに言うと300歳ぐらいまで生きたことになっています。

 

ひょっとしたら「武内宿祢」という名前を(歌舞伎のように)代々その子供が継いで、5代の天皇に仕えたのかもしれません。

 

私は「オキナガタラシヒメ(神功皇后)」のファンで、その神社の追っかけをしているのですが、応神天皇はその方の息子にあたります。

宝塚市に安倉(あくら)という場所があるのですが、聖徳太子がそこでインスピレーションを得て「あの山に寺を建てよう!」とできたのが今の中山寺

 

宝塚市には中山寺清荒神という2つの有名なお寺があるのですが、それらは最初は1つの寺だったそうです。

 

こうしてみると我が宝塚にも古代史の片鱗が、けっこう残っていることをうれしく思います。