カノンの大事件

4日前、いつものようにカノンと散歩しました。
その時ふと思ったのですが「こうして当たり前のようにカノンと散歩することが、どんなに幸せなことか分からない」。
その日の夕方、どうもカノンの足が引きつるようなのです。
どんどん悪くなり、遂には後ろ足が立たなくなりました。
朝まであんなに元気だったのに。

後ろ足が立たないものだから、ウンチもオシッコも出来ず。
私はそちらのほうが心配でした。
次の日、さっそく妻がカノンを連れて獣医さんへ。
検査の結果、レントゲンでも血液検査でも全く異常なし。
しかし腰が抜けたように足が立たないのは今まで通り。

そこでMRとCTRの検査ができるペット専用の病院に1週間後に行くことになりました(それまでは予約でいっぱい)。
そうこうしているうちに午後から“ひきつけ”を起こしました。
私は東京に出張に行っていたのですが、もしその時に立ち会っていたら、何もできずオロオロと狼狽していたに違いありません。

知人の医者(犬ではなく人間の)の見立てでは「脳梗塞」ではないかとのこと。
確かにそう言われれば、そういった症状。
犬を飼っていない人には分かりにくい感情なのですが、家の中で同居するワンちゃんは子供同然なのです。
人生には「上り坂」と「下り坂」と「まさか」の3つの坂があると言いますが、まさにその「まさか」。
まったく想定もしていない状況に陥り、暗澹たる気持ちに沈みました。

次の日、弱弱しいながらも、次第に立ち上がる兆候が出てきたのです。
カノンが自分で立ち上がってオシッコをした時は、こんなうれしいことが世の中にあるのかと思いました。
いつものようにリンゴをやろうとすると、自分の足でこちらまで歩いてきました。
安堵と感動。

「当たり前のことが当たり前に出来る」中に、幸せがいっぱい詰まっていることに、普段は全く気がつきません。
気がつかないものだから、つい不満や愚痴を吐いたり、心の中を悪意で満たしたり。
愚かなことです。
私なども「100歳までバリバリの現役で働く」とか「今年中に〜を成し遂げる」とか、年中勇ましいことを言っているわけですが、ラッキーにラッキーが重なったおかげで、今の「当たり前」があるわけです。
神様から与えられた「おかげ」がなければ、夢どころではありません。
平凡な毎日の中にすでに幸せがたっぷりと詰まっている。
今回のカノンの大事件に、文字通り腰を抜かした私ではありますが、また大きな気づきをいただきました。