マイ図書館

本はすべて自分で買っており、借りることは全くありません。

その場合、本代は兎も角(ともかく)として、読んだ本の置き場所に困るのです。

渡部昇一先生の本を大学時代から読み始め(と言うか、私が高校生の時には渡部昇一先生の本はまだ世に出ていなかったと思います)、大きな影響を受けてきました。

知的生活には本が欠かせないことや、読んだ本を置いておく場所(書庫)を自宅に確保する重要性などを、若い時に教えてもらったのは、とてもラッキーなことでした。

渡部昇一先生ご自身も、佐藤順太という師を持っておられ、師のお宅で膨大な書庫を見た時の感動を、よく本の中で述べられています。

渡部昇一先生は貧乏学生だったのに、のちに個人図書館としては世界一とも言える、15万冊の蔵書を所有されていました。

佐藤順太先生の蔵書を見て「将来自分もこんな書庫を持ちたい」という願望が、感動とともに潜在意識にインプットされたのだと思います。

で、そんな話を本で読んで、私も個人図書館のイメージを潜在意識に、知らぬ間にインプットしていたようです。

それが今、長い年月をかけて実現したというわけです。

私の図書館は自宅の地下にあり、大学の図書館と同じ大型電動書庫が何台も備え付けられています。

それを作った当初は「もうこれで一生、本を置く場所に困ることはなくなる」と思っていたのですが、本が増えるにつれ、段々と心細くなってきました。

ひょっとしたら今年いっぱいで本を置くスペースがなくなるのではないかと心配していました。

が、先日、書棚の整理をし、余計な本を処分すると、かなりのスペースを確保することができました。

来年いっぱいぐらいは大丈夫な気がします。

「では再来年以降は?」ということなのですが、その時はその時でまた考えたいと思います。

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「経営・人生統合計画書」

「経営・人生統合計画書」を作成してから、自分の動くべき方向がよく分かってきました。

目標が明確になると、最短距離で進むことができます。

おまけにその過程を楽しもうとしているので、目標達成への努力が全く苦痛にはなりません。

また義務感の伴う目標もなく、すべて考えるだけでワクワクすることばかりです。

「見栄」や「間違った思い込み」を取り除くと、人生はかなり楽になります。

シンプルライフこそベストライフです。

見栄を張っていると、余計な時間と労力がいります。

その分、人生のムダなのです。

人からスゴイとかエライとか思われるのと、自分が本当に納得できる人生を過ごすのとは別物なのです。

私は「会社は大きくしなければならない」という思い込みに長い間とらわれ、苦しんできました。

会社なんて全然大きくしなくてよかったのです。

社内コミュニケーションや社員教育や人事考課に費やしていた時間が、今はまるまる自由に使え、バタバタと走り回っていた30代や40代と比べても、数倍充実しています。

月に1度、「経営・人生統合計画書」を見直す時間を取ることにしました。

見直すごとに修正したり、付け加えたりします。

そうすると段々とイメージが明確になり、具体的になってきます。

ある大目標を達成するために、今週どう動いたらいいのかが分かってきたりするのです。

「経営・人生統合計画書」をチェックしたあと、手帳にその具体策への予定を入れたりするのは“しょっちゅう”です。

仮に目標達成が10年後としても、その過程を存分に楽しんでいるので、焦りや不安はちっともありません。

手帳自体が私のパワースポットになってきました。

 

 

『売上を、減らそう。』

『売上を、減らそう。』(中村朱美・ライツ社・1,500円)という本を読みました。

経営書としては久々にいい本と出合いました。

著者は京都でステーキ丼専門店を経営しているのですが、1100食に限定し、100食が完売になれば、その日はお店を閉めてしまいます。

あまりにお客さんがお店の前に並ぶものだから、朝から整理券を発行するようにしたそうです(ちなみに予約不可)。

そうするとお客さんに2度お店に足を運んでもらうことになるのですが、その分、コミュニケーションがよく取れ、それをサービスに活かせるようになったとのこと。

100食限定なので、従業員は午後6時ごろには帰宅することができ、飲食業のブラック企業的体質とは完璧に一線を画しています。

また100食限定なので、食材のムダもありません。

その分、食材の原価率を上げ(つまりいい食材を使い)、美味しいものを提供(だから大人気)。

スタッフも少し多い目に雇うことにより、顧客へのサービスを充実させています。

スタッフがヘトヘトだと、いいサービスが出来るわけがないからです。

「かんてんぱぱ」の塚越寛会長が説く「年輪経営」と考え方がよく似ていると感じました。

本来の資本主義は、自らを律して経済を発展させ、世の中を良くしていこうという、キリスト教宗教改革の当初の精神と合致していました。

それが段々と「自分さえよければ」という強欲資本主義に変化していったわけです。

「もっと売上を上げよう」とか「もっと会社を大きくしよう」といった「もっと、もっと」病が蔓延し、それで働く人が幸せになればいいのですが、どうもそうでもないということに人々が気づきだしました。

ここにきて少し風向きが(いい方向に)変わってきたような気がするのです。

 

 

 

妄想力と暇力

幸い今は、生活のために働かなければならない状況からは離れ、子供たちも独立し、自分自身の人生に集中できるようになりました。

人生の後半戦の大きな武器は「妄想力」と「暇力(ひまりょく)」ではないかと考えています。

人生という真っ白なキャンパスにカラフルな妄想を描いていきたいものです。

気が乗らない事は描かなくていいので、とても気が楽です。

そもそも実現しないことや、興味がないことは、最初から妄想しないのです。

私はお金の世界で成功したいと願っています。

お金に好かれないとお金が寄って来てくれません。

「お金は汚いもの」などという間違った考えをインプットをしてしまうと、お金とは相思相愛の関係にはならないのです。

私は学校を出て、ほぼ45年間不動産業に従事しています。

あれだけ一生懸命頑張った仲介や管理の仕事なのに、何か残っているかと考えると何も残っていないのです。

一方、片手間で始めたコインパーキング事業は長い時間をかけて実を結び、今では収益の柱になっています。

こちらの方は頑張った意識がほとんどありません。

つまり自分の努力と成果とが一致していないのです。

ならば人生の後半戦は妄想に身をゆだね、潜在意識の力も借りながら、目標達成までの過程を存分に楽しんでいきたいと思うのです。

そうすると最初の思惑通りにいかなくても、全然どうってことはないし、少し違った形になるかもしれないけれど、妄想が実現していくことにも気がつくはずです。

どうのこうのと不平を言わず、神さまに全託してしまえばいいわけです。

「暇力」もスゴイ武器です。

忙しい人は読書も勉強もできないのです。

それは当たり前の話であって「やっぱり自分はダメだ」などと余計なことを思わなくていいのです。

ムリに頑張れば病気になってしまいます。

私は「心を改めて」、今年から(自分だけ)週休5日制にすることにしました。

本当は週休7日制でもいいのですが、世間体を考えて週休5日と言っております。

 

やるやん、大阪

大阪でG20が開催されました。

67年前であれば、大阪での開催など考えられなかったのではないかと思います。

一流ホテルがここ5年ほどの間にいくつも開業しました。

各国首脳やプレス関係者など、少なくとも1万人以上が大阪に滞在したと思われますが、それに十分対応できる収容能力があったということでもあります。

大阪のマンションに住んでいる友人によると、外があまりに静かなので、思わず外に出たら警察官の姿しか見えなかったとのこと。

大阪に通じる高速道路が通行止めになったり、観光施設が閉鎖されたり、生活に不便が生じたりもしたわけですが、そういった経験を何度か積むことにより、大阪が一流都市に成長していくのだと思います。

今まで大阪は没落に次ぐ没落の一路をたどっていました。

大手企業の本社機能がどんどん東京へ移動し、2030代の若手が東京に引っ張られていき、大阪にいると結婚相手も見つからないなんてことが言われていたぐらいです。

それがインバウンドで一気に息を吹き返し、今回のG20、そして2025年の大阪万博へと続いていきます。

大阪にとっては目出度いことが続くわけで、もしこれで阪神タイガーズが優勝でもしたものなら、大阪人の何人かは「興奮死」するに違いありません。

語学の外人講師から「東京の人は冷たいけれど、大阪の人は親切だ」ということを何回か聞いたことがあります。

いい悪いは別として、大阪は東京に比べ「人と人との距離」が近いような気がします。

東南アジアのどこへ行っても「活気と猥雑さ」を感じるのですが、大阪の「ベタベタ感」にはそれに近いものがあるように思います。

東南アジアの人たちだけでなく、東アジアの人たちも、大阪へ来ると緊張しなくてすみ、ホッとできるのではないでしょうか。

グリコの看板がある道頓堀などは、大阪の雰囲気が満載で、あんなにワクワクしたオモロイところは、世界の都市を探してもあまりないのではないかと思うのです。

 

来年の会社日程表

来年の会社日程表を作成しました。

6月の時点で来年の日程表を作ってしまう会社はそんなに多くはないはずです。

どうしてそんなに早く決めてしまうかと言えば、会社のゴールデンウィークやお盆休みや年末休みなどをキチンと決めておかないと、私個人の予定が立てにくいという理由があるからです。

毎月必ず伊勢神宮を参拝しているということもあるのですが、来年の「神たび」予定が、もう既に7つも入っているのです。

「そんなに“たびたび”神たびばかり行っていていいのか?」という疑問もあるのですが、仕事をサボっている分、神さまのご加護をいただけるので、差し引き大きくプラスになっているという実情があります。

従って今のところ「まあいいか」ということにしています。

来年の予定表をスタッフと一緒になって作っていると、来年の祝日が随分変更になっていることを知りました。

私の手帳は5年手帳なので、来年以降も変更前の祝日が印刷されており、それに従って行動予定を立てると、とんだドジを踏むところでした。

予定がハッキリしているものは、どんどん手帳に記入していくというのがワタシ流です。

どうせいつか手帳に記入しなければいけないのであれば、早く書いておいた方がいいに決まっています。

毎月1回「経営・人生統合計画書」と手帳とを見直す日を決めているので、実際に行動するまでに何度もシミュレーションを繰り返すことになります。

チェックするごとにイメージが明確化し、またアイデアが付加されるので、当日はムダなく、不安なく、迷いなく行動することができます。

私は今、「自分がやりたいこと」しかしなくていいという「超・恵まれた立場」にいます。

天皇陛下に申し訳ないぐらいです。

 

キャッシュ イズ キング

健康とお金ほど大事なことはないのに、勉強する機会がほとんどありません。

優秀なビジネスマンでも、仕事に集中するのが精いっぱいで、健康とお金のことはスルーしているのが実情ではないでしょうか。

健康に関しては過労をはじめ、むしろ害になることばかりやっていると言った方がいいかもしれません。

私も働き過ぎで、44歳の誕生日に結核で入院、また55歳の誕生日には十二指腸潰瘍で入院しました。

その流れから行くと、66歳の誕生日を密かに恐れていたのですが、何事もなく過ぎ去ったのでホッとしています。

今は健康だけでなく、アンチエイジングも研究中です。

年を重ねるにつれ、実年齢よりも見かけの年齢の方が大事になってきます。

仮に見かけが50歳の人は、実際の能力も若さも美貌も50才であって、本当は70才だったり40才だったりしても、実年齢はほとんど意味を持ちません。

私は「95歳までバリバリの現役で頑張る」つもりですが、その時の見かけは70歳代に見えないと、95歳のヨボヨボではビジネス社会では相手にしてもらえないのです。

かぼちゃの馬車」に引っかかった人の中には、年収1,000万円以上の勝ち組サラリーマンも少なくなかったと聞きます。

よく稼ぐ自営業の人が、投資話に乗って失敗するというのも、ふつうに見聞きすることです。

「よく稼ぐ」と「お金を残す」能力とは、どうやら同じではないということに、最近気がつき出しました。

P/Lばかりに目が行き、B/Sは“なおざり”になっている経営者も少なくないのです。

手残りのキャッシュフローが一番大事だということも分かってきました。

何の見返りもなくキャッシュアウトするのが税金なので、節税についても「情熱を持って」勉強すべきだと思うのです。