「老い」の勉強

「老い」というのは必ず来るもので、逆に「老い」を知らずして早世するほうが具合が悪いわけです。

 

老いはすべての人にとって初めて経験することで、老いを勉強することは十分に価値のあることだと思っています。

 

「カッコよく老いる」というのは、私にとって一種の理想でもあります。

 

上場企業の名経営者の中にも、実にカッコいい「老」経営者がいます。

 

その人の功績で会社が大きくなり、優良企業になったことを誰もが認めているがこそ、いつまでも経営を任されているのでしょう。

 

「老・名経営者」の会社の株を、2,3銘柄持っているのですが、この人たちがいる限り安心だという気がしています。

 

しかしながら、この人たちだって生涯経営者を続けるわけにはいかず、その点、当社のような零細企業は、いつまでやっていても「老害」と呼ばれる心配はありません。

 

私が尊敬する地元の上場企業の社長は、3代目への引継ぎをなして引退されてから、すぐに亡くなられました。

 

社長という激務から、即「引退」だと、あまりにその格差が大きすぎ、自分も家族も戸惑ってしまいます。

 

完全引退ではなく、何かその中間あたりの仕事を見つけておきたいものです。

 

ボランティアではなく、収入が見込める仕事の方が、やっぱりやりがいがあると思うのです。

 

仕事を通じて社会に貢献し、収入も得られる晩年でありたいものです。