日本史での「アンチ〇〇」

奈良公園へ行くと鹿の姿をノンビリと見ることができたり、東大寺興福寺を楽しんだりすることができます。

 

ずいぶん平和な雰囲気で、さぞかし奈良時代はいい時代だったのではないかと思ってしまいます。

 

が、歴史家の中には、奈良時代は陰謀や暗殺がうごめく「暗黒の時代」だったと主張する人もいます。

 

僧兵などを抱えた寺院の力が強くなりすぎ、政治にまで口をはさんでいたのも事実です。

 

日本史を勉強していると、行基空海など立派な仏教者もいるのですが、仏教寺院という集合体になると、どうもロクでもないことが多かったように思います。

 

信長の比叡山の焼き討ちは、現地では「元亀の兵乱」と呼んでいるようですが、堕落に堕落を重ねた僧たちへの鉄槌という意味合いが強かったように感じます。

 

日本史を学習する過程において、ついつい「アンチ寺院(僧侶)」という立場にいる自分に驚くことがあります。

 

ほかにもなぜか「アンチ藤原氏」であったり、「アンチ徳川氏」であったりするのですが、その理由はよくわかりません。

 

ひょっとしたら前世でそのようなポジションにいたのかもしれません。

 

藤原氏の中でも、和気清麻呂を助けた藤原百川などは好きなのですが、菅原道真大宰府に左遷させた藤原四兄弟などは「祟られても仕方ないかも」とツイ思ってしまったりします。

 

不思議なことに、関ケ原の戦いや、大坂冬の陣や夏の陣では、何の関係もないのに、気がついたら豊臣方を応援しているのです。

 

これもやっぱり前世の影響でしょうか…?