白河天皇が思うようにならないものとして、次の3つを挙げています。
それが「鴨川の水」と「サイコロの目」と「山法師」というわけです。
山法師とは大きな寺院が持つ軍事力とも言えます。
昔は仏教が(陰に陽にと)国の政治に口出ししていました。
それが奈良から京都に都を移動させた大きな理由の一つです(奈良仏教の影響を排除するため)。
最澄と空海は、両人とも遣唐使として唐の国で仏教を学んできました。
今でも日本の仏教界では突き抜けた存在です。
鎌倉時代には偉大な僧たちが固まって出現しました。
即ち、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、時宗の一遍、そして日蓮宗の日蓮です。
いまだにこれらの偉人たちを超える僧は、日本仏教界には1人も生まれていません。
「神社と寺院の違いは何?」と聞かれたときに「神社は神道、寺は仏教」と答えれば正解ですが、「拝観料を取らないのが神社、取るのがお寺」という答えもアリかもしれないと、鎌倉でふと気がつきました。
たとえ伊勢神宮や出雲大社のような立派で見ごたえのある神社でも、拝観料は決して取りません。
それに比べ、ちょっと有名な寺院は必ず拝観料を取るのです。